松月院跡
しようげついんあと
[現在地名]古河市牧野地
渡良瀬川堤防沿いの水田一帯が跡地。鎌倉の円覚寺末の臨済寺院で、感湖山千光院と称したが、五代古河公方足利義氏の孫義親の室で元和五年(一六一九)に没した松月院(榊原忠政の娘)の菩提寺となり、松月院と改名したと推定される。足利三ヵ院(永仙院・徳源院・松月院)の一であったが、明治初年に廃寺となり、一部石塔類は当地の共同墓地に移されている。
天保五年(一八三四)の御領分寺院取調帳(鷹見安二郎文書)によれば除地一町三反五畝二四歩のうち二反一〇歩は御所塚、三畝は畑、五畝一四歩は林。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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