朝日日本歴史人物事典 「榊原忠政」の解説
榊原忠政
生年:天文10(1541)
戦国・安土桃山時代の武将。通称は平七郎,弥平兵衛,隼之助とあり,摂津守を称している。榊原忠次の子で,徳川家康が天文16(1547)年,「人質」として駿府に赴くとき,小姓としてこれに従った。永禄3(1560)年の尾張丸根城攻めで戦功をあらわし,同12年の懸川城攻めのときには軍奉行を務めている。元亀3(1572)年,兄忠直討死ののち,あとを継いだ。その後,長篠の戦,高天神城の戦などにも戦功をあげたが,最終的には家康が関東に移封されたとき,相模国大住郡で2300石を与えられたのが最高であった。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報