松永和楓(読み)マツナガ ワフウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松永和楓」の解説

松永 和楓(3代目)
マツナガ ワフウ


職業
長唄唄方

本名
保坂 鉄太郎

別名
初名=清元太夫,前名=松永 鉄五郎(6代目),松永 忠五郎(7代目),後名=松永 鉄翁

生年月日
天保10年

出生地
江戸・日本橋(東京都)

経歴
清元の太夫から長唄に転向して慶応3年5代目松永忠五郎の婿となり、6代目鉄五郎、7代目忠五郎を経て、明治13年3代目和楓を襲名清元節節回しを応用した独特の長唄をうたい活躍したが、晩年はその奔放な性格から9代目市川団十郎にうとまれ不遇だった。41年鉄翁に改名。大正2年引退。

没年月日
大正5年 10月15日 (1916年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松永和楓」の解説

松永 和楓(3代目)
マツナガ ワフウ

江戸時代末期〜大正期の長唄唄方



生年
天保10年(1839年)

没年
大正5(1916)年10月15日

出生地
江戸・日本橋

本名
保坂 鉄太郎

別名
初名=清元 叶太夫,前名=松永 鉄五郎(6代目),松永 忠五郎(7代目),後名=松永 鉄翁

経歴
清元の太夫から長唄に転向して慶応3年5代目松永忠五郎の婿となり、6代目鉄五郎、7代目忠五郎を経て、明治13年3代目和楓を襲名。清元節の節回しを応用した独特の長唄をうたい活躍したが、晩年はその奔放な性格から9代目市川団十郎にうとまれ不遇だった。41年鉄翁に改名。大正2年引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「松永和楓」の解説

松永和楓(3代)

没年:大正5.10.15(1916)
生年:天保10(1839)
明治大正期の長唄唄方。江戸日本橋の商人穂坂金兵衛の長男。もと清元叶太夫。5代目松永忠五郎の女婿となり,6代目松永鉄五郎を経て明治10(1877)年,7代目忠五郎となり,13年には3代目和楓を名乗る(和風名儀は初代松永忠五郎に始まる)。若くして清元節を学び,加えて大音美声,清元の節回しを応用した独特の長唄を唄い一世を風靡したが,負けん気が強いところから9代目市川団十郎と衝突してうとまれ,晩年は不遇であった。41年に鉄翁と改名している。和風(楓)の名跡は昭和期の4代におよぶ。3代目は和楓と記し,美声と独特の節回しで知られた。4代目和風も一時期,和楓と記した。<参考文献>3代目松永和楓談「長唄の話」(『唾玉集』)

(植田隆之助)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松永和楓」の解説

松永和楓(3代) まつなが-わふう

1839-1916 江戸後期-大正時代の長唄唄方。
天保(てんぽう)10年生まれ。5代松永忠五郎の娘婿。はじめ清元節をまなび清元叶太夫(かのうだゆう)と称した。長唄に転じ,6代松永鉄五郎,7代松永忠五郎をへて,明治13年3代和楓を襲名。美声にくわえて清元の節回しをとりいれ好評をえた。大正5年10月15日死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松永和楓の言及

【松永和風】より

…長唄の唄方。現在まで4世を数え,3世は和楓と記し,4世も一時期,和楓と記した。(1)初世(?‐1808(文化5)) 長唄松永派の流祖初世松永忠五郎の後名。松島茂平次の門弟。謡曲が巧みで,1774年(安永3)5月,市村座の《二人椀久(ににんわんきゆう)》で《井筒》のクセをうたい好評を博す。95年(寛政7),忠五郎を和風と改名する。(2)2世 2世松永忠五郎(?‐1857)の後名と思われる。(3)3世(1839‐1916∥天保10‐大正5) もと清元叶太夫(かのうたゆう)。…

※「松永和楓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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