日本歴史地名大系 「松江分」の解説 松江分まつえぶん 島根県:松江市旧意宇郡地区松江分[現在地名]松江市新雑賀町(しんさいかまち)・本郷町(ほんごうちよう)・伊勢宮町(いせみやちよう)・御手船場町(おてせんばちよう)・朝日町(あさひまち)・大正町(たいしようまち)・幸町(さいわいまち)・栄町(さかえまち)・東朝日町(ひがしあさひまち)大橋(おおはし)川南岸に位置し、耕地は松江城下橋南(きようなん)地区の周辺に散在的に存在した。堀尾吉晴による松江城築城時は砂洲および沼沢地であったといわれるが、堀尾時代城下図では寺(てら)町東方の北・東・南を入江に囲まれた地およびのちの天神(てんじん)川南岸などに田が存在している。その後さらに新田開発が進み、延享城下図では寺町・和多見(わだみ)町の東端を南北に走る堀を挟んだ対岸の地、および天神川南岸の西を竪(たて)町、南を雑賀町に限られた地、さらに横浜(よこばま)町の南東などに耕地が描かれている。正保国絵図には大橋川南岸の白潟(しらかた)地区に松江町とあり、天保郷帳にも松江町四八四石余と記されることから、松江町は松江分などをさすと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by