松谷辰造(読み)マツタニ タツゾウ

20世紀日本人名事典 「松谷辰造」の解説

松谷 辰造
マツタニ タツゾウ

昭和期の医師,淡路人形収集



生年
明治25(1892)年

没年
昭和46(1971)年

出身地
東京

学歴〔年〕
岡山医専(現・岡山大学)卒

経歴
昭和4年兵庫県洲本町に耳鼻咽喉科医院を開業。洲本市医師会長などを務めた。一方、淡路人形を収集し、大阪文楽座に貸し出した他、24年には人形会館を建設した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松谷辰造」の解説

松谷辰造 まつたに-たつぞう

1892-1971 昭和時代の医師,伝統芸能育成者。
明治25年生まれ。昭和4年兵庫県洲本町に耳鼻咽喉科医院を開業し,戦後洲本市医師会長。淡路(あわじ)人形を収集,戦災で人形をうしなった大阪文楽座(ぶんらくざ)にかしだし,文楽の復興をたすけた。24年人形会館を建設。昭和46年死去。79歳。東京出身。岡山医専(現岡山大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android