兵庫県淡路島の三人遣(つか)いの人形芝居。かつてはデコ芝居とよばれていた。人形、舞台、演技、演出、組織、興行形態などに農村的な特色がみられ、都市的な大阪の文楽(ぶんらく)と対比して語られることが多い。その初発については諸説あるが、中世末ごろに摂津西宮(にしのみや)(兵庫県)の傀儡師(かいらいし)の伝承を継ぎ、阿波(あわ)(徳島県)藩主蜂須賀(はちすか)家の庇護(ひご)のもとに発展したものである。
淡路人形は年に一、二度しか演じないような素人(しろうと)の民俗芸能ではなく、旅興行をもっぱらとする職業的な玄人(くろうと)の郷土芸能集団だった。しかし第二次世界大戦後テレビの普及など国民の娯楽感覚が変化するに伴い興行が不可能になり、職能集団であったためにかえって壊滅に追い込まれた。いまでは鳴門(なると)海峡に臨む福良(ふくら)にある大鳴門橋記念館内の淡路人形浄瑠璃(じょうるり)館でみることができる。淡路人形協会による「淡路人形浄瑠璃」は国指定重要無形民俗文化財となっている。淡路人形の特色に人形の大きなことがあげられるが、これは明治中ごろからで、それ以前は文楽と大差がなかった。首(かしら)の大きさは、立役で、文楽は13センチメートル程度だが、淡路人形では17センチメートルほどになる。野天で舞台や客席が大きくなったことや、役者(デコマワシとも)とよばれる人形遣いたちが自分を目だたせるために始めたことによるという。顔の深い彫り、照りのある塗り、ガラス製の目など作りも名称も文楽と違う。かつては本芝居となると莚(むしろ)掛けながら屋根もある掛小屋(かけごや)をつくったが、舞台間口は文楽の11メートル程度に対して14.5メートルほどもあった。舞台構造も文楽のような船底式ではなく、手すりが高く、花道がある場合もあった。背景の大道具(千畳敷)を12段とか24段とかにどんでん返しして見せる「からくり道具返し」は昔のまま残っている。浄瑠璃の語りは豪快で、『賤ヶ嶽(しずがたけ)七本槍』など独特の狂言がいくつもあった。市村六之丞(ろくのじょう)座など座元制で統括されてきたが、江戸時代中ごろ、多いときには40座、役者も1000人近くを数えたといい、明治中ごろにも21座あった。
なお、人形の首はほとんど阿波国内で製作されていたから、阿波でも淡路にまねて農民たちの人形座が生まれ、農閑期には巡業に出たりしていた。いわゆる阿波人形芝居であるが、本質的に素人人形座である点で職業的な淡路人形芝居と異なる。それでも明治初年の最盛期には50余座を数えたという。
[西角井正大]
『新見貫次著『淡路の人形芝居』(1972・角川書店)』
兵庫県淡路島地方の人形浄瑠璃芝居。文楽と同じく義太夫による三人遣いだが,人形がひと回り大きく,徳島県の阿波人形と同系である。淡路人形の起源については諸説があるが,大阪湾を隔てた摂津の西宮戎(えびす)神社を基盤に生まれたもののようである。戎神社は海神えびす神をまつる社で,古く水辺を漂泊していた傀儡(くぐつ)の流れをくむ集団が,そのえびす神を表現した人形を舞わして,人々の息災福運を祈った。世にいう夷舁(えびすか)きがそれで,室町時代に活躍し,宮廷や公家の邸にも参って祝賀の芸を演じた。その一派が淡路にも渡って座を構えたが,関ヶ原の戦のあと蜂須賀氏が淡路,阿波の領主となり,その人形座に手厚い庇護を与えた。これは諸国の巡業をもっぱらとする人形座を利用して,他藩の情勢を探らせるためのものだったともいわれる。その結果,享保・元文(1716-41)ごろには最盛期を迎え,淡路の人形座を開いたといわれる引田家の子孫である上村源之丞(日向掾)を中心に人形座は40余を数え,人形遣い(役者と呼ぶ)は930人に達したという(《淡路草》など)。しかし,地理的に近い大坂で発達した義太夫系の三人遣いの様式が導入され,演目も大坂で上演されたものばかりとなった。そのため逆に,大坂の人形浄瑠璃の演奏者の供給源ともなり両者の関係は密接になった。明治中ごろから従来に比べてひと回り大型の首が使われるようになったが,これは小屋が広くても見やすいようにとの配慮からといわれる。演目も《賤ヶ岳七本槍(しずがたけしちほんやり)》《奥州秀衡有鬙壻(おうしゆうひでひらうそうのむこ)》など文楽では廃絶した珍しい曲を伝え,大道具の転換だけを見せる〈段返し〉の演出に特色を見せた。大正期以降とくに第2次世界大戦後は急激に凋落,現在では独立した人形座は姿を消し,保存会による観光用公演にわずかに伝承を保っている。しかしソ連をはじめとする海外公演や地元高校のクラブ活動など復興への努力が続けられている。
→人形浄瑠璃
執筆者:山田 庄一
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