朝日日本歴史人物事典 「板倉勝清」の解説
板倉勝清
生年:宝永3(1706)
江戸中期の老中。享保2(1717)年8月,陸奥国泉藩(福島県いわき市)藩主就任。同20(1735)年6月若年寄。延享3(1746)年9月,遠江国相良(静岡県相良町)に転封。翌年6月勝手掛となり,勝手掛老中松平乗邑失脚後の幕府財政を,のちに勝手掛となる老中堀田正亮と共に主導。寛延2(1749)年2月上野国安中(群馬県安中市)に転封。宝暦10(1760)年4月側用人,明和4(1767)年7月西丸老中,同6年老中に昇進し,老中首座松平武元を補佐。将軍家重・家治時代,幕閣首脳のひとりであり,当時の幕政を考えるうえで無視できない人物である。<参考文献>山田忠雄「田沼意次の政権独占をめぐって」(『史学』44巻3号)
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報