コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

板倉勝清 いたくら かつきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

板倉勝清 いたくら-かつきよ

1706-1780 江戸時代中期の大名。
宝永3年生まれ。板倉重同(しげあつ)の子。享保(きょうほう)2年陸奥(むつ)泉藩(福島県)藩主板倉家2代。延享3年遠江(とおとうみ)(静岡県)相良(さがら)藩主に転じ,寛延2年上野(こうずけ)(群馬県)安中藩主板倉家第2次初代となる。2万石,のち3万石に加増。若年寄を25年間つとめ,側用人(そばようにん),西丸老中をへて,明和6年老中。安永9年6月28日死去。75歳。初名は重清。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

板倉勝清

没年:安永9.6.28(1780.7.29)
生年:宝永3(1706)
江戸中期の老中。享保2(1717)年8月,陸奥国泉藩(福島県いわき市)藩主就任。同20(1735)年6月若年寄。延享3(1746)年9月,遠江国相良(静岡県相良町)に転封。翌年6月勝手掛となり,勝手掛老中松平乗邑失脚後の幕府財政を,のちに勝手掛となる老中堀田正亮と共に主導。寛延2(1749)年2月上野国安中(群馬県安中市)に転封。宝暦10(1760)年4月側用人,明和4(1767)年7月西丸老中,同6年老中に昇進し,老中首座松平武元を補佐。将軍家重・家治時代,幕閣首脳のひとりであり,当時の幕政を考えるうえで無視できない人物である。<参考文献>山田忠雄「田沼意次の政権独占をめぐって」(『史学』44巻3号)

(安藤優一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

板倉勝清の関連キーワード相良藩〈遠江国〉相良藩(遠江国)山田忠雄板倉勝暁板倉勝矩板倉勝意

今日のキーワード

大義

1 人として守るべき道義。国家・君主への忠義、親への孝行など。「大義に殉じる」2 重要な意義。大切な事柄。「自由平等の大義を説く」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android