ドイツの化学者。ゾリンゲンに生まれる。ライプツィヒ大学でH・コルベやE・S・C・マイヤーに学んで1878年に卒業。1883年以降同大学でコルベ、ウィスリツェヌス、W・オストワルトらと研究。1892年エルランゲン大学、1897年ライプツィヒ大学教授、1912年新設のカイザー・ウィルヘルム応用化学・薬学研究所(現、マックス・プランク研究所)所長となった。1886年、今日ベックマン転位として知られる分子内転位反応を発見。またオキシムの物理的性質の研究過程で、熱量や温度変化をきわめて精密に測定できるベックマン温度計を開発、さらにこの温度計を使って溶液の純溶媒に比べての沸点上昇、氷点降下を測定することにより分子量を決定する方法も開発した。
[道家達將]
ドイツの建築技術者。ベルリンの高等建築学校に学びエンデと知り合う。二人で西欧および南欧への研究旅行を行ったのち、1860年エンデ‐ベックマン建築事務所を開設し、当時のドイツ建築界を代表する設計組織として銀行、動物園、住宅など広い分野にわたる建築設計を行った。彼は主として構造および経営を担当し、建築実務に優れた能力を発揮した。1886年(明治19)に来日、明治政府の官庁集中計画に参与した。また日本人技師、職工の技術養成のためドイツ留学を斡旋(あっせん)、帰国後は事務所において日本人留学生の指導にもあたるなど近代日本の建築技術発展に大きく貢献した。
[藤原恵洋・村松貞次郎 2018年8月21日]
ドイツの画家、版画家。ライプツィヒに生まれ、ワイマール、パリ、フィレンツェおよびベルリンで絵画を修業する。ベルリン分離派に加わり、初期には印象派風に描く。第一次世界大戦に従軍し、この戦争体験を転機として表現主義的な画風を開拓する。彼は人間存在を脅かす恐怖や不安や孤独を見つめ、また文明の破局を予見してこれらを象徴的なコンポジションによって描き出した。ナチスによって1925年以来教職にあったフランクフルト美術学校を追われ、37年アムステルダムへ脱出。第二次大戦後アメリカへ渡ってニューヨークで没した。『出発』(1932~33・ニューヨーク近代美術館)、『アルゴナウタイ』(1949・ニューヨーク、M・ベックマン・コレクション)など晩年の三幅対形式の大作9点は名高い。
[野村太郎]
ドイツの官房学的な経済学者。ゲッティンゲン大学教授。当初,牧師になろうとしたが数学に長じていたので自然科学の分野に進んだ。同時に古典語を中心に10ヵ国語を習得し,人文・自然科学両方の知識をあわせた独特の研究を行った。彼が活動した時代には,官房経済学がドイツ在来の産業技術を新しく再構成してイギリスの産業革命に対抗しようとしていたので,彼の研究は,まず当時の産業技術を網羅的に列挙する商品学となった。しかし技術の発達が速すぎるため,それに追随することをやめ1780年以降25年にわたり技術史の論文集を書きつづけた。また技術の記述を一般技術学と個別技術学に分け,前者において各産業の個々の技術を分解してその機能(切断,結合など)ごとに分類し,今後新しい技術を開発する際のハンドブックとすべきだという試案を出した。主著には《技術学序説》(1780),《発明の歴史についての論文集》(1780-1805,邦題《西洋事物起原》)などがあり,特に後者は科学史,技術史の古典として高く評価されている。
執筆者:富田 徹男
ドイツの有機化学者。ゾーリンゲンの染物屋の息子として生まれる。1875年ライプチヒ大学でH.コルベ,S.C.マイヤーに学び,78年卒業する。高等技術学校の教職についた後,87年ライプチヒ,91年ギーセン,92年エルランゲン,12年ベルリンの各大学教授を歴任する。1912年よりカイザー・ウィルヘルム研究所の応用化学・薬化学研究所長を務める。1886年,ケトオキシムは酸性でアミドを作用させると急激に反応が生じ,いわゆる〈ベックマン転位〉反応となることを明らかにした。また彼が発明したベックマン温度計は,沸点上昇,凝固点降下の測定を可能にし,有機化合物の分子量測定に広く用いられている。
執筆者:徳元 琴代
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの化学者.中等教育の後,薬局の徒弟修行をし,そのうちの1年はWiesbadenの有名な分析化学者K.R. Freseniusに師事した.22歳でライプチヒ大学に入学,A.W.H. Kolbe(コルベ)に化学を学び,1878年に学位を取得.1879年ブラウンシュバイク工科大学の助手,1883年ライプチヒ大学講師,1891年ギーセン大学助教授,1892年エルランゲン大学教授,1897年ライプチヒ大学教授に就任した.1912年カイザー・ウィルヘルム協会化学研究所の初代所長となる.1886年,酸触媒のもとにケトキシムがアミドに転位するベックマン転位を発見した.この研究で生じる幾何異性体の分子量測定の必要からベックマン凝固点測定装置を考案し,ベックマン沸点測定装置やベックマン温度計もかれの考案である.ほかに硫黄やセレンの塩化物を研究し,四塩化硫黄を発見した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
(堀内正昭)
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…しかし,これより100年以上前に中国では宋応星が《天工開物》という詳細な技術誌を著していたことは注目されよう。 ヨーロッパで最初の技術史の書物はJ.ベックマンの《発明史》(1780‐1805,邦題《西洋事物起原》)で,個別的に古代からの文献を広く渉猟してまとめた事典である。項目数は多くはないが,歴史的配慮が行き届いており,各国語に訳されてその後の技術史研究の出発点となった。…
※「ベックマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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