日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベックマン」の意味・わかりやすい解説
ベックマン(Ernest Otto Beckmann)
べっくまん
Ernest Otto Beckmann
(1853―1923)
ドイツの化学者。ゾリンゲンに生まれる。ライプツィヒ大学でH・コルベやE・S・C・マイヤーに学んで1878年に卒業。1883年以降同大学でコルベ、ウィスリツェヌス、W・オストワルトらと研究。1892年エルランゲン大学、1897年ライプツィヒ大学教授、1912年新設のカイザー・ウィルヘルム応用化学・薬学研究所(現、マックス・プランク研究所)所長となった。1886年、今日ベックマン転位として知られる分子内転位反応を発見。またオキシムの物理的性質の研究過程で、熱量や温度変化をきわめて精密に測定できるベックマン温度計を開発、さらにこの温度計を使って溶液の純溶媒に比べての沸点上昇、氷点降下を測定することにより分子量を決定する方法も開発した。
[道家達將]
ベックマン(Wilhelm Böckmann)
べっくまん
Wilhelm Böckmann
(1832―1902)
ドイツの建築技術者。ベルリンの高等建築学校に学びエンデと知り合う。二人で西欧および南欧への研究旅行を行ったのち、1860年エンデ‐ベックマン建築事務所を開設し、当時のドイツ建築界を代表する設計組織として銀行、動物園、住宅など広い分野にわたる建築設計を行った。彼は主として構造および経営を担当し、建築実務に優れた能力を発揮した。1886年(明治19)に来日、明治政府の官庁集中計画に参与した。また日本人技師、職工の技術養成のためドイツ留学を斡旋(あっせん)、帰国後は事務所において日本人留学生の指導にもあたるなど近代日本の建築技術発展に大きく貢献した。
[藤原恵洋・村松貞次郎 2018年8月21日]
ベックマン(Max Beckmann)
べっくまん
Max Beckmann
(1884―1950)
ドイツの画家、版画家。ライプツィヒに生まれ、ワイマール、パリ、フィレンツェおよびベルリンで絵画を修業する。ベルリン分離派に加わり、初期には印象派風に描く。第一次世界大戦に従軍し、この戦争体験を転機として表現主義的な画風を開拓する。彼は人間存在を脅かす恐怖や不安や孤独を見つめ、また文明の破局を予見してこれらを象徴的なコンポジションによって描き出した。ナチスによって1925年以来教職にあったフランクフルト美術学校を追われ、37年アムステルダムへ脱出。第二次大戦後アメリカへ渡ってニューヨークで没した。『出発』(1932~33・ニューヨーク近代美術館)、『アルゴナウタイ』(1949・ニューヨーク、M・ベックマン・コレクション)など晩年の三幅対形式の大作9点は名高い。
[野村太郎]