すべて 

板荷村(読み)いたがむら

日本歴史地名大系 「板荷村」の解説

板荷村
いたがむら

[現在地名]鹿沼市板荷

くろ川の上流山間に位置。当地で黒川が東から南に流れを変える。東は小代こしろ(現今市市)富岡とみおか村、南は下遠部しもとおべ村、西は小来川おころがわ(現日光市)。日光山往古社領六十六郷の一つに板荷郷がある(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗諸寺連判留書案(醍醐寺文書)に「板荷」の観音寺薬定やくじよう寺・遍照へんじよう院の名がみえる。慶安郷帳では田四六石余・畑九五八石余で幕府領、ほかに薬定寺領二石。慶安二年(一六四九)から鹿沼藩領。享保九年(一七二四)鹿沼藩主内田正親の移封に伴い下総小見川藩領。天保九年(一八三八)幕府領となり、幕末に至る。

壬生みぶ板橋いたばし文挟ふばさみ宿(現今市市)定助郷となり、享保九年の勤高一千五七石(「板橋・文挟宿助郷帳」小堀三郎文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

すべて 

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む