板谷街道(読み)いたやかいどう

日本歴史地名大系 「板谷街道」の解説

板谷街道
いたやかいどう

米沢城下と福島を結ぶ街道。福島街道とも称する。江戸時代米沢藩の参勤交代路となる。また藩米の江戸輸送路ともなった。城下おおふだつじ起点とし、南行してひがし町で東に折れ、福田ふくだ町・山上通やまかみとおり町を通り関根せきね村の南で羽黒はぐろ川沿いに南東行し、大小屋おおごや村・大沢おおさわ宿・板谷宿を経て、米沢藩領境のうぶさわを越え福島藩領に入り、李平すももたいら庭坂にわさか笹木野ささきの(現福島市)を経て福島に至る。米沢から板谷まで五里一五町、板谷から李平まで一里三四町の道程であった。免許百姓面付之覚(丹波館文書)によれば、天正一二年(一五八四)大小屋村の近野平左衛門の先祖の申立によって開かれたという。同一八年七月二五日の伊達政宗過所(志賀槙太郎氏所蔵文書)によれば、政宗は岩瀬いわせ大里おおさと(現福島県岩瀬郡天栄村)への宿送人足五名を立てることを板谷通に命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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