20世紀日本人名事典 「林光雄」の解説 林 光雄ハヤシ ミツオ 昭和・平成期の歌人 「あけび」主宰;元・小西六写真工業専務。 生年明治36(1903)年1月9日 没年平成9(1997)年8月6日 出生地福井県 学歴〔年〕京都大学法学部卒 主な受賞名〔年〕短歌研究賞(第10回)〔昭和49年〕「大和の旅」「幾山河」,日本歌人クラブ賞(第29回)〔平成4年〕「無碍光」 経歴大学時代に花田比露思の門に入り、「あけび」に入会。昭和27年1月「あけび」復刊と同時に編集発行人となり、42年7月花田没後、主幹となる。歌集「にぎたま」「幾山河」「白梅譜」、他に合同歌集「高樹」などがある。また小西六写真工業(現・コニカ)専務、東映化学工業社長などを務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林光雄」の解説 林光雄 はやし-みつお 1903-1997 昭和-平成時代の歌人。明治36年1月9日生まれ。花田比露思(ひろし)の「あけび」に入会。昭和27年編集発行人となり,花田没後,主幹。49年「大和の旅」「幾山河」で短歌研究賞,平成4年「無碍光」で日本歌人クラブ賞。小西六写真工業(現コニカ)専務をつとめた。平成9年8月6日死去。94歳。福井県出身。京都帝大卒。歌集に「にぎたま」「白梅譜」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by