林癸未夫(読み)ハヤシ キミオ

20世紀日本人名事典 「林癸未夫」の解説

林 癸未夫
ハヤシ キミオ

大正・昭和期の経済学者 早稲田大学総長代理。



生年
明治16(1883)年9月17日

没年
昭和22(1947)年10月26日

出生地
岡山県

旧姓(旧名)
藤井

学歴〔年〕
早稲田大学法学部〔明治38年〕卒

学位〔年〕
経済学博士〔昭和2年〕

経歴
古河鉱業会社に入社、労働問題の調査研究に当たり、大正9年欧米視察。10年帰国して早大政治経済学部で社会政策、工業政策を講じ、12年教授となった。同大図書館長、政経学部長、常務理事、昭和21年総長代理などを務め、東京女子大、津田英学塾に出講した。国家社会主義の理論体系樹立に努めた。またジャーナリズムにも活躍、社会政策学界に貢献。著書に「社会政策新原理」「国際労働運動史」「工業経済政策」「社会問題各論」「国家社会主義原理」「国家社会主義論集」など。随筆天邪鬼」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林癸未夫」の解説

林癸未夫 はやし-きみお

1883-1947 大正-昭和時代の経済学者。
明治16年9月17日生まれ。古河鉱業にはいり,労働問題を調査し,欧米を視察。大正10年から母校早大で社会政策をおしえ,12年教授。のち政経学部長,総長代理などをつとめた。昭和22年10月26日死去。65歳。岡山県出身。旧姓は藤井。著作に「国際労働運動史」「国家社会主義原理」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「林癸未夫」の解説

林 癸未夫 (はやし きみお)

生年月日:1883年9月17日
大正時代;昭和時代の経済学者。早稲田大学総長代理
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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