ジャーナリズム(読み)じゃーなりずむ(英語表記)journalism 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

ジャーナリズム
じゃーなりずむ
journalism 英語
journalisme フランス語

マス・メディアが時事的な事実や問題に関する報道・論評を伝達する活動の総称。そのような活動を行うマス・メディア自身をさすことばとして使われることもある。発生史的には印刷定期刊行物、なかでも日刊新聞ジャーナリズムの中核メディアである。語源的にもジャーナリズムはラテン語で「日々の」を意味するdiurnusに発しており、ジャーナリズムということばが日常的に使われるようになったのも、日刊紙が新聞のパターンとして一般化した19世紀初頭以降の欧米である。しかし、他方で雑誌も普及し、20世紀には映画、ラジオテレビが登場するなど多メディア化が進展するに及んで、ジャーナリズムも、表現の手段も多様化した。しかし、ジャーナリズムの中心的機能は「時事的な事実や問題に関する報道・論評」の伝達にある。そして、このような報道機能には真実性と客観性、また論評機能には批判性という規範性が伴っている。このような意味で、ジャーナリズムの概念は、規範的概念としての性格が強い。したがって、大衆に対する情報一般の社会的伝達現象の統一的指示概念であるマス・コミュニケーション、ないしそこにおける伝達媒体たるマス・メディア一般とジャーナリズムとの間には、重なる部分があると同時に、おのずから違いがある。また、各メディア特性に応じて、メディア相互間のジャーナリズム性、さらには同一メディアの行っている諸活動相互間のジャーナリズム性にも、線を引くのは容易でないが濃淡の違いがある。その意味で今日のジャーナリズムは、もっとも狭くいえば、日刊新聞の報道・論評活動を核にしてラジオ・テレビの報道番組、時事雑誌、それにニュース映画をつなぐ一定範囲のマス・メディアの活動とその特質と考えてよいだろう。

内川芳美

公共性と商業性

ところで、後述するように、ジャーナリズムの中心的機能たる時事的な報道・論評活動には、現実的環境に生起した変化を一定の価値判断によって選択報道し、また、一定の問題意識と見解にたった論評を行うことを通じて、社会の神経組織としてと同時に、市民的自由ないし民主主義のための監視・警報装置としての役割が歴史的に負託されてきた。その限りにおいてジャーナリズムには公共性がある。ジャーナリズムが一定の社会的特権を認められたり、ジャーナリストへの一定の便宜供与を許容する社会的制度や慣行が存在しているのはそのためである。他方、ジャーナリズムは新聞社その他のマス・メディア企業によって営まれていて、マス・メディア企業は、企業経営の法則や採算に基づいて企業の維持・発展を図る。これは、ジャーナリズムが政府やその他の勢力から独立して自由な立場から活動を行うための必要条件である。そこからくるマス・メディア企業の商業性志向の前に屈して、ジャーナリズムが本来の機能をゆがめて果たすことも少なくない。ジャーナリズムの公共性とマス・メディア企業の商業性の矛盾的関係は、自由主義社会のジャーナリズムの弱点の一つといえる。

[内川芳美]

社会主義ジャーナリズム

旧ソ連など共産主義国家にもジャーナリズムの概念があった。マス・メディアによる時事的な事実や問題に関する報道・論評活動をさす点は自由主義社会のジャーナリズムと同じだといえる。しかし、両者ではマス・メディアそのものの性格が基本的に違っていた。自由主義社会のマス・メディアは、政治権力から独立した自由な報道・論評を行う点に原理的な特質があるのに対し、共産主義国家のマス・メディアは、社会主義建設のための扇動・宣伝の手段と規定されており、共産党および政府の統制下に置かれるのは当然だと考えられていた。したがって共産主義国家のジャーナリズムは、そういうマス・メディアによる独特な社会主義ジャーナリズムだということができる。現代の中国のジャーナリズムも基本的にはこのような特質をもっている。しかし1989年ソ連崩壊後、ロシア連邦を中核とする独立国家共同体(CIS)ができて以後は、国家イデオロギーとしての共産主義が消滅し、マス・メディアは共産党・政府から解放されたので、中国は別として、旧ソ連・東欧諸国では基本的には自由主義的ジャーナリズムの展開が始まっているといえる。

[内川芳美]

ジャーナリストの活動

ところでジャーナリストとは、ジャーナリズム活動、すなわち、マス・メディアによる報道・論評の仕事に従事している人をいうわけであるが、前述したようなジャーナリズムの公共性にかんがみて、ジャーナリストの職業を、弁護士や医師と同様の特別な専門職業(プロフェッションprofession)として扱い、一定の有資格者以外はなれないことにすべきだとの主張が過去にあった。これは、そのための資格認定制度がジャーナリズムの自由をかえって制約することになり、メリットよりデメリットが大きいとして退けられてきた。プロフェッション制度とは関係なく、政治的な目的のために、たとえば新聞記者の登録制度を敷いて言論統制の方策とした例が、ヒトラー時代のドイツや太平洋戦争体制下の日本などにみられた。しかし、制度的にジャーナリストの活動を特別扱いにすることは問題であるが、ジャーナリズムの機能の公共性にかんがみて、ジャーナリストの活動には、専門性の高い倫理性が求められる。

 ジャーナリズムの公共性にふさわしい水準の高い活動を担保するためには、確かに優れたジャーナリストの存在が重要な条件である。そのために、大学レベルにおけるジャーナリスト養成の職業教育の必要が重視されたのはアメリカで、1908年、ミズーリ大学にジャーナリズム学部が創設された。続いて12年、コロンビア大学にも、ピュリッツァーの遺志によって彼の寄付した遺産を基金にジャーナリズム学部が開設された。ヨーロッパや日本では、アメリカのような大学でのジャーナリストのための職業教育はほとんどみられず、ジャーナリスト教育は、主として実際的経験の集積や各マス・メディアの企業内教育に拠(よ)っている。共産圏諸国では、社会主義ジャーナリズムの特殊性から、その要員の計画的確保と養成のための職業教育が大学で組織的、積極的に実施されてきた。現代中国のジャーナリスト教育もその例外ではない。

[内川芳美]

欧米のジャーナリズム

ジャーナリズムは近代新聞の歴史とともに始まったといっていい。17世紀絶対王制下に生まれた近代新聞は、特許検閲制度と闘いながら市民的自由を要求する市民革命推進の有力なばねとして働いた。その結果、新たに成立した近代国家の下で出版の自由に関する憲法的保障が確立され、ジャーナリズムの中心的機能たる報道・論評の自由が承認されるに至った。むろん、この自由はなお原則的な自由にとどまり、新聞をはじめとするマス・メディアは、この自由の実質化と拡充のために、このあとも多くの障害と闘わなければならなかった。初期近代国家のジャーナリズムは、新しい政治体制のリーダーシップの争奪をめぐる少数のエリート中心の「政論」ジャーナリズムにその特徴があり、新聞は政党新聞が主流だった。19世紀中葉になると新聞の大衆化・商業化が始まり、それと同時に報道の客観化志向が始まった。ただ欧米では、個人が意見を積極的に表明する伝統的な政治風土から、新聞の党派性が支持される傾向が強く、したがって政党とのつながりも、このあと変化はあるものの消滅はしていない。ヨーロッパではとくにそうである。

 20世紀に入ると、19世紀末創刊のイギリスの『デーリー・メール』を先頭に始まった現代型の大衆新聞が本格的展開をみせ、巨大部数を擁する「大衆」ジャーナリズムの時代が開幕した。欧米で特徴的なことは、これと並行して、部数はそれほど大きくないが、各界の政策決定や世論指導の関係者および知識層を読者にもつ「高級紙」による「エリート」ジャーナリズムが一方に存在し、大きな役割を演じていくことになった点で、『タイムズ』『ル・モンド』『ニューヨーク・タイムズ』などはその典型である。

[内川芳美]

日本のジャーナリズム

日本のジャーナリズムは明治維新後に始まった。初期に「政論」ジャーナリズムが主流となったが、これは欧米の場合と似ている。ただ日本では、その後、明治中期から大正初期に新聞の政党からの離脱が進み、その結果、全新聞が不偏不党を唱え、かつこぞって大衆新聞化し、高級紙との併立関係は成立しなかった。これには政党不信と同時に、個人の積極的意見表明をあまり評価しない日本の政治風土や、平準化志向の強い知的風土が関連していると思われる。日本のジャーナリズムのこの歴史的傾向は、現在もなお認められる。最近では、人々の価値観の変化、多メディア化、とくにテレビなど映像メディアの普及の急速な進展のもとで、新聞など活字メディアの社会的力が相対的に低下し、それを契機に日本のジャーナリズムも大きな転換期に直面しているとみられる。

[内川芳美]

『編集代表城戸又一『講座 現代ジャーナリズム』全6巻(1973~74・時事通信社)』『内川芳美・新井直之編『日本のジャーナリズム』(1983・有斐閣)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

ジャーナリズム
journalism

パンフレット,新聞,雑誌,ラジオ,映画,テレビ,書物等によるニュース,論評,特集の取材・製作・供給などの諸活動。ジャーナリズムという用語は元来,特に新聞などの印刷物による最新の出来事の報道に用いられたが,20世紀のラジオとテレビの出現に伴って,最新の出来事を扱う活字・電子コミュニケーション全般を含むようになった。また一方で民衆の間を口伝えに潜流する噂話 (デマ) ,落首,落書きなどの口頭や筆記による活動も,古代から現代まで一貫して存在する。
最古のジャーナリスティックな出版物は古代ローマのアクタ・ディウルナと呼ばれる壁新聞で (前 59) ,目立つ場所に張られ,政治や社会の出来事を掲載した。中国では唐代に王室行事日報が発行され,清朝の終り (1912) 頃まで続いた。最初の定期刊行の新聞は,17世紀初頭にドイツの諸都市とアントウェルペンで現れた。英字新聞では『ウィークリー・ニューズ』 (1622) ,日刊紙では『デーリー・クーラント』 (1702) が最初である。当初は検閲や規制などにより政府の妨害を受けた新聞も,18世紀に報道の自由をかちとり,重要な役割を果すようになった。識字率の向上によって新聞に対する需要が高まり,蒸気印刷機や電動印刷機が導入され,新聞の発行部数は飛躍的に増大した。 17世紀に学術誌として創刊された雑誌は,『タトラー』 (09~11) や『スペクテーター』 (11~12) などのように最新の事件記事を売物にしはじめた。 1830年代には,一般大衆向けの廉価な大量発行の雑誌,挿絵雑誌,女性誌が現れた。大規模なニュースの取材は費用がかさむため,多数の新聞や雑誌に国際的な報道記事を売る通信社が生れた。電報とそれに続くラジオやテレビの発明は報道活動を加速化し,同時に視聴者数を増大させた。 20世紀末には,長距離の報道情報の伝達に人工衛星が用いられるようになった。
ジャーナリストの団体は,イギリスで 1883年に設立されたジャーナリスト協会が始りで,労働組合および専門職組合として機能している。 19世紀中葉以前には,ジャーナリストは原稿運搬係や新米記者から出発して技術を学んだが,ニュース報道や新聞社運営の複雑化に伴って,専門教育の必要性が高まり,また政治,ビジネス,経済,科学などの報道には各分野の基礎教育を受けた記者が必要と考えられはじめた。ミズーリ大学で最初のジャーナリズムの講座 (79~84) が,コロンビア大学で最初の修士課程 (1912) が創設された。ニュース媒体としての映画,ラジオ,テレビの出現によって,取材や新しい表現技術の必要性が高まり,1950年代にはジャーナリズムやコミュニケーションの講座が単科大学でも一般化した。 20世紀初頭にはこの分野の参考図書はわずかであったが,やがて数や種類もふえ,ジャーナリズム史の本から記者やカメラマンの教科書,ジャーナリストの書いた技能や手法,倫理に関する本にまで及ぶようになった。初期の新聞や雑誌は一般に政治的に偏向し,支持政党の立場を伝え,対立政党を非難することで社会的責任を果せると考えていた。読者層が広がるにつれ,規模や資産が増大した新聞社は独立性をもつようになった。やがて販売部数をふやすための「改革運動」が始り,ニューヨークの『ワールド』と『ジャーナル』のイエロー・ジャーナリズム競争でこの傾向は頂点に達した (1890年代) 。本や雑誌,会議での議論や専門教育に触発され,社会的責任の意識が芽生えはじめた。イギリスの王立新聞委員会 (1949) やアメリカの報道の自由に関する委員会 (47) の報告書が,ジャーナリスト側の反省を促した。 20世紀後半,多数のジャーナリストの団体が倫理声明を発表し,特にアメリカ新聞編集者協会のものが知られている。
ジャーナリズムの中心は常にニュースであるが,この言葉は様々な派生的な意味をもつため,「硬いニュース」という言葉で報道価値の高いものを示すようになった。これはおもにラジオとテレビの報道が出現した結果で,新聞には及びのつかない速度でニュースが伝わるようになった。新聞は読者確保のために,ニュースの背景,人物紹介,時事解説などの解説記事をふやした。 1960年代には,夕刊と日曜版は雑誌の技法を用いはじめた。書物の形をとったジャーナリズムは,短いが活発な歴史をもつ。第2次世界大戦後,ペーパーバックの普及は,選挙キャンペーン,政治スキャンダル,世界情勢などの報道や分析,また T.カポーティ,T.ウルフ,N.メーラーらによるニュー・ジャーナリズムに代表される書物をもたらした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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