社会政策という用語は長い歴史を負った言葉であるが,その用法は人によりさまざまであって,いまもなお統一的な了解が成立しているとはいいがたい。社会政策という言葉がどのような領域の政策を指しているかということに即していえば,さしあたり,労働組合立法など労使関係にかかわる政策を基軸とし,工場法をはじめとする労働者の労働条件にかかわる政策,さらには救貧立法から社会保障制度にいたる国民の生活保障にかかわる政策などを包含するものといってよい。
もともと社会政策という言葉は1872年ドイツで創立された社会政策学会に結集した新歴史学派(〈歴史学派〉の項参照)の経済学者,A.H.G.ワーグナー,G.シュモラー,L.ブレンターノなどによって喧伝(けんでん)されるようになったもので,そこでは,ドイツの急速な資本主義化にともなう階級対立の深刻化と社会主義運動の勃興による社会革命への危惧にもとづいて,階級利害を超越した国家が経済に介入し分配的正義を実現しなければならないと主張された。つまり,新歴史学派による社会政策の勧めは,現存の資本主義体制を容認しつつ,自由主義に反対し社会主義にも反対するという社会改良の主張にほかならなかった。その方策として提唱された政策手段は,累進所得税の導入など租税改革による私有財産に対する規制,階級対立の激化の防波堤としての手工業者・自営農民など中産階級の維持・拡大,あるいは団結の自由を保障し労働組合による労働者の自己救助を伸長せしめることなどさまざまであったが,いずれの場合にも,分配的正義の実現という倫理的価値判断を経済学の根底にすえ,経済学の倫理化によって社会政策の必要を根拠づけようとしたところに特徴があった。このような新歴史学派による社会政策の主張は,20世紀初頭の価値判断論争を通じて退潮し,第1次大戦後ワイマール体制のもとにおいて,社会民主党系の理論家E.ハイマンなどによって社会政策をもって社会主義への橋頭堡とみなす理論が展開されることとなった。そこでは,社会政策は〈自由と労働の尊厳〉の実現をめざす社会運動の理念の制度的沈殿物であるとみなされた。社会政策は資本主義体制の内部に生まれたものであって,その容認によってはじめて体制が維持されているという限りでは,資本主義体制の維持に役立ってはいるが,もともと社会政策が資本主義体制とは異質な社会的理念の産物であるからには,社会政策的獲得物が積み重ねられていけば,ついには資本主義体制を揚棄しうる道が開けてくると主張されたのである。
日本では,1890年代に金井延などによって新歴史学派の社会政策論が導入され,96年に社会政策学会の創立をみたが,大恐慌によって資本主義各国で社会政策が危機に陥った1930年代に社会政策に関する新たな理解が展開されることとなった。その代表的な理論家である大河内一男(1905-84)によれば,近代の社会政策は,土地から切り離された貧民の浮浪化の抑止と労役場制度を中心とする労働者の育成策など資本主義の生成期にとられた労働力創出のための政策を前提とし,(1)幼少年・婦人などの過度労働を防止するための工場法,疾病・失業などの生活上の事故に対する保障としての社会保険など,労働力の継続的再生産を維持するための労働力保全策,(2)労働運動の勃興にともない,これを資本主義体制のうちに包摂していくために展開されてくる労働組合の法的承認と統制を中心とする産業平和策,の二つの類型をもっている。しかも,工場法・社会保険などによる労働者保護の展開をまってはじめて労働者の社会的自覚も進展しうるという意味で,労働力保全策は産業平和策の歴史的,論理的な先行物として位置づけられたのである。ここでは,社会政策はなによりもまず労働力政策として理解されていることが特徴的である。しかも,労働力保全策が個々の資本による労働力の濫奪を防止し資本主義経済の運行に必要な労働力の継続的再生産をはかるための施策とされ,あるいはまた,産業平和策が労働運動の担い手としての労働者をも生産要素としての労働力の担い手として包摂するための施策として位置づけられていったことに示されるごとく,この理論は社会政策をもって資本主義経済そのものの内部から必然的に生み出され,資本主義経済の維持存続をはかるための経済政策の一分肢として理解しようとしたところにその特徴がある。この理論が社会政策の経済理論と呼ばれるゆえんである。
このように社会政策はそれぞれの時代の理論によってさまざまな特徴づけを与えられてきたのであるが,これらの理論のなかで扱われてきた社会政策を資本主義の展開とのかかわりに留意して整序するとすれば,およそ次のような三つの政策系列の展開として跡づけることができるであろう。
第1は,労働力商品の取引のあり方を規制する政策である。資本主義の形成・確立過程を先導したイギリスに典型的にみられるごとく,17世紀後半の市民革命を経たのち19世紀の20年代半ばにいたる資本主義の形成期には,労働力商品の個別的な取引の自由を確保するために,制定法と,それに随伴して現れたコモン・ロー上の刑事共謀罪によって労働組合的団結を禁止する措置がとられた。産業革命を経て産業資本の確立の時期を迎えた1820年代,労働組合的団結を禁じた制定法が廃止され,賃金と労働時間についてのみ労使双方に対し労働組合的団結が容認されるにいたったが,この場合にもコモン・ロー上の刑事共謀罪の法理そのものは廃されなかったため,60年代にいたるまで取引の自由を侵害するとみなされる団結はコモン・ローによって訴追される道が残されていた。さらにまた,18世紀以来の団結を禁止した制定法は雇用契約違反を規制する条項を含んでおり,のちにこの部分は団結禁止立法から分化を遂げて1820年代に主従法として集大成され,以降50年間にわたって生命を保つこととなった。主従法は,雇主の契約違反に対しては民事訴追を行うにすぎないのに対し,労働者には刑事訴追をもなしうるという不平等な権利関係を設定していたことに注意しておかねばならない。主従法は契約違反を規制する立法であるから,ひとまず労働力商品の取引にかかわる立法といいうるが,実質的には生産過程における労働力の消費の過程を担保するものであり,そこにまた不平等な権利関係が設定される根拠があったといえよう。ところで,帝国主義の時代への移行が始まる1870年代,イギリスにおいては,団結立法の改正によって労働組合的団結を刑事共謀罪から免責すると同時に,雇用契約違反を一般の契約法理によって処理する道が開かれた。ついで20世紀初頭,争議行為に対する民事免責が確認されるに及んで,団体交渉を通じて労使関係を律していくシステムが確立されることとなった。なお,日本をも含めて後発資本主義国においては,この時代,労働組合が容認されるにいたってはいたが,イギリスのごとく労働組合が一つの法的人格とみなされるほど確固たる地位は与えられていなかった。
第2の政策系列は,工場法に始まる雇用条件の保護基準を定める立法である。資本主義の形成期には,イギリスの絶対王政の時代にみられたごとく,労働時間の最低限や賃金の最高限が国家によって規制されてきたが,産業革命を通じて幼少年・婦人の過度労働が社会問題となるに及んで,問題の焦点であった繊維産業に働く幼少年,さらには婦人の労働時間の最高限を規制する立法が制定されるにいたった。この立法は,1870年代にはより広範な産業を規制する立法へと拡張されるにいたった。また,20世紀初頭,イギリスでは団体交渉制度が未成熟ないくつかの産業を対象として,賃金審議会の設定する最低賃金の順守を義務づけるという方策が導入されるにいたり,賃金も国家規制の対象とされるようになった。これらはいずれも,労働力の保全をはかりながら,社会問題の温床となりうるものを除こうとする施策といえよう。
第3の政策系列は,救貧法に始まる生活保障にかかわる政策である。絶対王政のもとで始まったイギリスの救貧法は,貧民の浮浪化を抑止する一方で,教区の手を通じてその救済をはかろうとするものであったが,この制度は,市民革命以後,教区救済の原則を確認しつつ引き継がれることとなり,産業革命期には就業者をも含めて貧民に手当を支給する居宅救済のシステムが広がっていった。だが,1830年代に入って手当制度のもたらす弊害に対する反省が起こり,労役場workhouseでの救済を原則とする新救貧法が制定されることとなった。救貧法によって救済をうけるものには選挙権が認められなかったことに示されるごとく,救貧法による救済は社会の安定を維持していくための,いわば共同体的な責務として観念されていたといってよいが,そのもとでもなおしだいに救済の権利化が進展しはじめたことに留意しなければならない。
ところで,19世紀末葉から20世紀初頭にかけて,ドイツにおける医療保険・年金保険の創設,イギリスにおける医療保険・失業保険の創設にみられるごとく,社会保険の制度が登場することとなった。社会保険は労働者を対象として保険原理のもとに自助の社会化をはかり,貧困を予防しようとするものであった。
第1次大戦以降の現代資本主義の展開は,上述のような国家の政策に関していくつかの点で新たな展開を促すこととなった。その一つは,企業運営にかかわる事項についての労使協議機関の設置や監査役会・取締役会などへの従業員代表の参加,さらには政府・自治体などの意思決定過程への労働者・消費者代表の参加など,いわゆる参加のシステムの展開をみたことである。いま一つは,産業構造の変化にともなう熟練の陳腐化や失業に対処するための職業紹介・再訓練やそのための手当の支給など,積極的労働市場政策の展開である。さらにまた,失業問題の深刻化に対処するための失業保険における保険原理の修正に始まり,イギリスのベバリッジ計画(ベバリッジ報告)のうちに結実していったような社会保障制度の創設や,マーケット・メカニズムを通じては確保しがたいサービスの公共的供給の拡大である。第2次大戦後先進資本主義国において成熟をみた社会保障制度は,社会保険と公的扶助の統合をはかり,完全雇用政策を前提としつつ国家による生活保障を国民の権利として確認することによって,福祉国家体制を生み出すこととなった。だが,1970年代に入り,とくに73年の石油危機を契機としてスタグフレーションが発現し,アメリカ,イギリス,日本などでは,いわゆる小さな政府論にもとづく福祉国家体制の見直しが始まっている。
執筆者:兵藤 釗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
賃金や労働条件の改善、貧困、健康など社会の諸問題を解決するために国家などが実施する政策。大きく雇用系列と福祉系列に分けることができる。
社会政策ということばが普及するきっかけとなったのは、19世紀後半のドイツにおいてである。当時の宰相ビスマルクが国内の社会問題対策として打ち出したのが社会政策Sozialpolitikであり、そこには労働者のための社会保険立法等が含まれていた。「世界の工場」といわれたイギリスよりも工業化が遅れ、後進的な立場にあったドイツは国内に課題が山積しており、社会政策として労働者のための疾病保険(1883年)や養老保険(1889年)といった社会保険制度を導入した。社会改良を進めることによって社会不安を緩和し、政治体制を安定させる装置として機能させたのである。
社会政策が本格的に前進するのは20世紀に入ってからで、各国で熱心に取り組まれるようになった。必ずしも社会政策という名称が一般化したわけではなく、たとえばイギリスでは社会改良や社会正義などということばとして普及したが、日本をはじめドイツの影響を強く受けた国では、当初から社会政策の名称で論議が盛んになされた。
日本では1897年(明治30)に金井延(かないのぶる)、高野岩三郎(たかのいわさぶろう)らが社会政策学会を結成した。19世紀末以降に社会政策が取り上げられたのは、東洋に限ってみると日本が最初である。日本の場合、工場法(1911年)や健康保険法(1922年)等をはじめとして、主に労働者の労働条件規制や医療保険給付実施といったかたちで社会政策は発展をみた。また、大阪など一部の大都市では簡易食堂や市営住宅をはじめとする「都市社会政策」が、また農村部では医療保険への加入が遅れていたため、国民健康保険の導入(1938年)など「農村社会政策」が進められた。
第二次世界大戦後になると、欧米を中心にして福祉国家の建設が始まる。「完全雇用」と「社会保障」を両輪とする体制づくりの進展は、社会政策全面開花の時代を迎えることとなり、とりわけヨーロッパにおいてそれが著しかった。このころになると、社会政策という名称が十分に普及していなかったイギリスにおいても、学問的かつ実践的に多用されるようになった。人々の最低限の生活保障を実現する手段として、社会政策は定置された。
いずれの国においても、政治不安を解消し一定の経済成長を遂げた次に課題となるのが国民生活の安定である。21世紀に入ってからの国際動向をみると、中国、韓国、台湾、シンガポールなどアジアを中心に、多くの国と地域で雇用保障と社会保障を柱とする社会政策が重視されるようになった。先進諸国においても、少子高齢化の進展とも相まって、育児・介護、医療・年金、各種就労支援等において、社会政策の緊要性は高まってきている。
[玉井金五]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…けれども今日の労働経済学が分析の対象としていることがらそのものの研究の歴史はきわめて古い。日本ではそれは明治期の学界における労働問題一般の研究に端を発し,その後ドイツ社会政策学の影響を受けた第2次大戦前から戦後にかけての社会政策の長い伝統のもとで発展させられてきた。1950年代半ば以降社会政策研究の蓄積を生かしつつも,一方ではアメリカにおける労働経済学の発展に触発され,他方では日本の労働市場や労働組合運動の実態分析の蓄積の上に立って,労働問題の研究を,市場機構の実証分析をより積極的にふまえた〈労働経済論〉として発展させようという動きが強まり,今日における〈労働経済学〉の萌芽を形成するに至った。…
※「社会政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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