枝権兵衛(読み)えだ・ごんべえ

朝日日本歴史人物事典 「枝権兵衛」の解説

枝権兵衛

没年:明治13.2.2(1880)
生年:文化6.1.15(1809.2.28)
幕末明治期,加賀国(石川県)石川郡の富樫用水改修に功労のあった商人地主。同郡坂尻村肝煎役,慶応1(1865)年,加賀藩産物方の役人小山良左衛門と共に,鶴来金沢間の物資運漕と安定した灌漑用水確保,水害防止を目的とする富樫用水改修工事に着工,明治2年に取水口と隧道300mが完成。その後も私財を投じて工事を続けた。権兵衛と小山は取水口近くの水神社に水神として祭られた。<参考文献>『石川県史』『加賀鶴来 枝権兵衛家文書目録』

(木越隆三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「枝権兵衛」の解説

枝権兵衛 えだ-ごんべえ

1809-1880 幕末-明治時代の治水家。
文化6年1月15日生まれ。加賀坂尻村(石川県鶴来(つるぎ)町)の庄屋。慶応元年灌漑(かんがい)用水の確保,洪水防止,金沢-鶴来間の水運の便のため富樫用水路の改修工事をはじめる。困難なトンネル工事などののち,明治2年完成させた。明治13年2月2日死去。72歳。

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