日本歴史地名大系 「柄倉村」の解説 柄倉村からくらむら 栃木県:塩谷郡藤原町柄倉村[現在地名]藤原町柄倉鬼怒川右岸段丘上にあり、北は小佐越(こさごえ)村、東の対岸は高徳(たかとく)村。西・南は山に囲まれる。南北に小佐越新道が通る。往昔柏木縫之助の居城があったと伝え、傍らの武器庫に槍の柄を蓄えたことから村名が生れたという。この柄倉城跡は、もと日本鉱業木戸(きど)ヶ沢(さわ)鉱業所(木戸ヶ沢鉱山)の沈殿地跡にあったとみられる。慶安郷帳には村名がみえ、畑高七三石余で日光領。大桑(おおくわ)郷八ヵ村の一。寛文六年(一六六六)の検地帳(今市市史編さん室蔵)によれば反別一一町一反余、うち上畑二町七反余・中畑三町四反余・下畑四町二反余・下々畑四反余・屋敷二反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by