日本歴史地名大系 「柏原別符・柏原保」の解説 柏原別符・柏原保かしわばるべつぷ・かしわばるほ 鹿児島県:肝属郡東串良町柏原別符・柏原保川東(かわひがし)・新川西(しんかわにし)・川西・池之原(いけのはら)一帯をさすと考えられるが、その範囲は不詳。建仁三年(一二〇三)一一月一〇日付および同四年一月一八日付の二通の島津庄政所下文(肝付文書)には、島津庄前地頭島津忠久により押領された弁済使得分米の京都への運上が命じられた院・郡・別符七ヵ所のうちに、柏原別符がみえる。この下文で当別符は串良院と別に記載され、島津庄寄郡であったとみられる。北に隣接する日向国救二(くに)郷(現大崎町)が島津庄日向方に属していたことなどから勘案して、肝属川北岸の当地も日向分に属していた可能性もある。建武二年(一三三五)六月二一日の後醍醐天皇綸旨(古文書纂)に二位法眼御房に宛行われたことがみえる「嶋津庄日向方柏原別符并新保地頭職英時跡」も当地であった可能性が高い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報