新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「柏田忠一」の解説 柏田 忠一カシワダ タダカズ 肩書元・衆院議員(立憲民政党),拓殖大学教授 生年月日明治19年11月5日 出生地岩手県 学歴東京帝大法科大学独法科〔大正3年〕卒 経歴上海日日新聞記者、主筆となったが、大正5年弁護士を開業。9〜11年ヨーロッパ留学、13年衆議院議員となり政友党本部に所属。時の首相田中義一の300万円事件で首相と対決。一期だけで代議士を辞めた後、拓殖大学教授、山口高商講師となり、植民政策、民族問題を講じた。昭和6年渡満、関東庁嘱託、ハルビン弁護士会会長などを務め、敗戦で帰国した。 没年月日昭和33年10月3日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柏田忠一」の解説 柏田忠一 かしわだ-ただかず 1886-1958 大正-昭和時代の政治家,弁護士。明治19年11月5日生まれ。「上海日日新聞」主筆をへて大正5年弁護士を開業。13年衆議院議員(民政党)。のち拓殖大教授,ハルビン弁護士会会長を歴任。昭和33年10月3日死去。71歳。岩手県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by