柳井田村(読み)やないだむら

日本歴史地名大系 「柳井田村」の解説

柳井田村
やないだむら

[現在地名]行橋市柳井田・泉中央いずみちゆうおう五丁目・同七―八丁目・東泉ひがしいずみ三丁目・同五丁目

竹田たけだ村の西に位置し、いま川・はらい川に挟まれた沖積平野に立地する。南は竹並たけなみ村。元和八年人畜改帳に村名がみえ、御蔵納分の高六五石余、給人五人分の高一九〇石余の二筆に分けられ、家数四二・人数七〇(うち庄屋一・百姓一〇・名子等一七)、牛九・馬二。寛永九年(一六三二)の高二七七石余(「仲津郡寛永六年七年八年三ヶ年之御免帳」永青文庫)。宝永三年(一七〇六)の水帳では竹並村からの渡高九一石余が付加され、高三六九石余(嘉永五年仲津郡本田畑御勘定帳)

柳井田村
やないだむら

[現在地名]新井市柳井田

矢代やしろ川からの用水堰によって灌漑される地域で、北国街道に沿い、北は田中たなか(現上越市)、南は栗原くりはら村に接する。正保国絵図に村名がある。天和三年郷帳に高四七一石九斗余、うち漆高一升、ほかに新田高三四石九斗余がある。文化九年(一八一二)の荷物継送争論(長沢区蔵)によれば、中川なかがわ村・稲塚いなづか新田とともに、高田たかだ城下(現上越市)で仕入れた商品を信州に運んで商売をしている者があり、継場である長沢ながさわ村から、荷物を継送りにするか、一荷につき口銭鐚八四文を出せと迫られ、従来どおりにしてほしいと代官所へ訴えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android