朝日日本歴史人物事典 「柳本賢治」の解説
柳本賢治
生年:生年不詳
戦国時代の武将。丹波の土豪波多野稙通の弟。弾正忠。大永6(1526)年,兄香西元盛が細川尹賢の讒により細川高国に殺されたため,稙通と共に高国に反旗を翻し,賢治は丹波神尾寺城に拠って阿波の細川晴元党に呼応,これは畿内の大乱をもたらす契機となった。賢治は内応した丹波守護代内藤国貞と共に尹賢を追い払い,翌年2月桂川の合戦で高国軍を大破,高国は近江へ逃亡し,賢治らは2月16日入京した。この結果堺に足利義維,細川晴元を首班とする堺公方府が成立するが,賢治らは阿波の三好元長と反りが合わず絶えず反目した。享禄1(1528)年大和へ侵入し,9月には河内に転じて畠山稙長の拠る誉田城を攻め,11月これを陥落,さらに12月には山城山崎で元長党の伊丹某を殺したため,元長は怒って阿波へ戻った。このように賢治は調子に乗って畿内を劫掠し回り,翌2年1月には大和赤沢氏を攻め,8月摂津伊丹城を包囲,11月には伊丹元扶を敗死させている。しかし翌年,近江亡命中の将軍足利義晴を還京させようとして果たさず,同3年6月,播磨依藤城を攻撃中,高国の放った刺客により暗殺された。賢治の役割は高国政権を崩壊に導き,細川晴元政権への橋渡しを行ったことである。<参考文献>長江正一『三好長慶』
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報