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細川晴元 ほそかわはるもと

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

細川晴元
ほそかわはるもと

[生]永正11(1514).阿波
[没]永禄6(1563).3.1. 摂津
室町時代末期の武将。澄元の子。通称,六郎。号,一清。父の死後阿波にいたが,享禄4 (1531) 年6月4日摂津天王寺の合戦で細川高国を破って自殺させ,以後細川管領家の嗣として威をふるい,翌天文1 (32) 年6月 20日三好元長を和泉堺南庄に攻めて自殺させた。

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デジタル大辞泉の解説

ほそかわ‐はるもと〔ほそかは‐〕【細川晴元】

[1514~1563]室町後期の武将。澄元の子。管領(かんれい)となったが、のち、家臣の三好長慶に追われ、剃髪して隠居。以後、管領家細川氏の権威は失墜した。

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百科事典マイペディアの解説

細川晴元【ほそかわはるもと】

戦国期の武将。澄元の嫡子として阿波で生まれる。三好元長らに擁せられて阿波で挙兵,1527年和泉堺に上陸。1531年前管領細川高国を敗死させ,翌年には元長をも自刃に追いやった。
→関連項目芥川城足利義晴飯盛城石山本願寺六角義賢

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川晴元 ほそかわ-はるもと

1514-1563 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)11年生まれ。細川澄元(すみもと)の子。阿波(あわ)の三好元長に支援されて和泉(いずみ)(大阪府)堺(さかい)に兵をすすめ,畿内(きない)を支配。享禄(きょうろく)4年細川高国をほろぼし細川惣領家をつぎ,天文(てんぶん)5年管領(かんれい)職につくが,18年元長の子長慶(ながよし)らに追放された。永禄(えいろく)6年3月1日死去。50歳。幼名は聡明丸。通称は六郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

細川晴元

没年:永禄6.3.1(1563.3.24)
生年:永正11(1514)
戦国時代の武将,室町幕府管領。幼名聡明丸。通称六郎。右京大夫。澄元の子。永正17(1520)年7歳で家督を継ぐ。父澄元が敗走先の阿波で没したため,同地で三好元長の保護を受けて育つ。大永6(1526)年元長らと挙兵し,翌年和泉堺に兵を進めた。享禄4(1531)年,細川高国を尼崎で自刃に追い込み,政権の座に就く。しかし,三好政長らの讒言を信じて元長に不信を抱くようになっていた晴元は,天文1(1532)年,一向宗徒の力を借りて元長を滅ぼした。このことは天文17(1548)年,元長の子長慶が高国の養子氏綱を擁して晴元に背く遠因ともなる。氏綱,長慶により京を追われた晴元は前将軍足利義晴,将軍足利義藤(義輝)と共に近江に逃れ,その後も抗争を続けた。永禄1(1558)年6月には山城国如意ケ岳に陣し,長慶の兵と鹿ケ谷に戦うが,永禄4年5月和がなり,晴元は摂津国富田普門寺に隠棲した。

(森田恭二)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほそかわはるもと【細川晴元】

1514‐63(永正11‐永禄6)
戦国時代の武将。澄元の嫡子。幼名六郎。官途は右京大夫。法名永川。一清と号す。阿波勝瑞(しようずい)城に生まれた。1527年(大永7)三好元長に擁せられて堺に上陸,足利義維(よしつな)を将軍跡目に戴いて,事実上畿内に覇を唱え,31年(享禄4)前管領細川高国を敗死させてから細川惣領家家督となり,山城,摂津,丹波,讃岐,土佐の守護に就任,畿内の3ヵ国は49年(天文18)まで実質的に支配した。執政の初年は一向一揆法華一揆が畿内各所に蜂起して混乱を極めたが,36年までに逐次鎮圧した。

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大辞林 第三版の解説

ほそかわはるもと【細川晴元】

1514~1563) 室町後期の武将。澄元の子。阿波から入洛して細川惣領家を継いだが、執事の三好長慶に追われ、摂津富田に退いて病没した。これにより細川管領家は事実上消滅。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

細川晴元
ほそかわはるもと
(1514―1563)

室町末期の武将。室町幕府の管領(かんれい)。幼名聡明丸(そうめいまる)。阿波(あわ)守護細川家の出身で、管領細川政元(まさもと)の養子となった細川澄元(すみもと)の子。父が管領細川高国(たかくに)に追われたため、阿波(徳島県)に住んだ。1527年(大永7)3月足利義維(あしかがよしつな)とともに阿波の三好元長(みよしもとなが)に擁せられ堺(さかい)に上陸、以後堺の顕本寺(けんぽんじ)を本拠として畿内(きない)支配を行う。32年(天文1)一向一揆(いっこういっき)に堺を追われ淡路に逃れる。33年淡路を脱出して摂津池田城(大阪府池田市)に入り芥川(あくたがわ)城(高槻(たかつき)市)に移り、36年までこの地を本拠として畿内を支配。同年9月ようやく入京を果たし、管領として以後16年間政権を維持した。しかし49年江口(えぐち)(大阪市東淀川(ひがしよどがわ)区)の合戦で三好長慶(ながよし)に敗れ、前将軍義晴(よしはる)、将軍義輝(よしてる)とともに近江(おうみ)に走り、ついに晴元政権は崩壊した。晴元は実権を振るった最後の管領であり、政元以来幕府を事実上支配した細川氏にあって、幕権を握った最後の人物であった。永禄(えいろく)6年3月1日摂津普門寺に没。[矢田俊文]
『今谷明著『言継卿記』(1980・そしえて)』

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世界大百科事典内の細川晴元の言及

【一向一揆】より

…この戦闘は本願寺中央権力による加賀の支配権の確立の意義を持つ。 32年(天文1)証如は細川晴元の要請で河内飯盛山城に畠山義宣,堺南荘に三好元長を滅ぼし,これに勢いを得た大和一向一揆が蜂起して興福寺を焼き払う。この事件に反発した京都の日蓮宗門徒は蜂起し(法華一揆)山科本願寺を焼き払い,証如は石山に逃れる。…

【摂津国】より

…旧国名。摂州。現在の大阪府の北西・南西部および兵庫県の東部の地域にあたる。
【古代】
 畿内に属する上国(《延喜式》)。管轄下の郡として《延喜式》によると住吉,百済,東生(ひがしなり)(後に東成),西成,島上,島下,豊島(てしま),川辺,武庫(むこ),兎原(うはら),八部(やたべ),有馬,能勢の13郡を数え,このうち能勢郡は713年(和銅6)に川辺郡から分立した郡である。また八部郡は8世紀には雄伴(おとも)郡の名で呼ばれていた。…

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