コレッジョ(読み)これっじょ(英語表記)Correggio

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コレッジョ」の意味・わかりやすい解説

コレッジョ
これっじょ
Correggio
(1489ころ―1534)

イタリア盛期ルネサンスの画家。本名アントニオ・アレグリAntonio Allegri。通称は生地モデナ近郊のコレッジョに由来。初めモデナの画家フランチェスコ・デ・ビアンキ・フェッラーリに学んだのち、マントバに赴き、マンテーニャコスタドッソ・ドッシの芸術に接し感化を受ける。記録に残る最初の作品は1514年の『聖フランチェスコの聖母』(ドレスデン絵画館)で、すでにマンテーニャの堅固な造形性から脱却し、ラファエッロの調和に満ちた構図法やレオナルド・ダ・ビンチの柔らかいスフマートの技法に学び、独自の道を歩み始めている。18年以後活動の中心をパルマに移し、三つの重要な天井画制作に携わる。第一は聖パオロ僧院尼僧院長室の天井画(1518~19)で、神話主題による優雅で幻想的な装飾は、18年ごろと考えられているローマ旅行の成果に帰せられる。第二は聖ジョバンニ・エバンジェリスタ聖堂の円蓋(えんがい)装飾『栄光キリスト』(1520~24)で、無限空間に浮遊するキリストの姿を仰ぎ見る大胆な短縮法で描いている。絵画空間と現実空間の連続性というイリュージョニズムの原理に基づいたバロック絵画の先駆をなすもので、イタリア絵画史上重要な作品である。第三はパルマ大聖堂の円蓋装飾『聖母被昇天』(1525~30)で、無数の天使・聖者螺旋(らせん)状に配され、聖母が無限の天空に向かって上昇する幻想的な光景を描いている。前作よりさらに複雑なイリュージョニズムを追求したことにより、教会側から「カエルの足のシチュー」と酷評された。コレッジョは制作を中断し帰郷したため未完に終わったが、彼の円熟期の頂点にたつ作品として位置づけられる。同大聖堂の仕事の合間にも優れた祭壇画を描き、それぞれ「昼」「夜」と通称される『聖ヒエロニムスの聖母』(パルマ絵画館)と『羊飼い礼拝』(ドレスデン絵画館)はその代表作である。彼の最後の画業は30~31年のマントバ公に依頼された「ゼウスの愛」を主題とする一連の官能的な作品『ダナエ』(ローマ、ボルゲーゼ美術館)、『イオ』(ウィーン美術史博物館)などである。彼の絵画は、崇高さよりも横溢(おういつ)する生の歓(よろこ)びの表現を求め、光の巧みな処理による微妙な明暗効果、柔らかな色調、対角線構図、人物の動勢表現、イリュージョニズムを駆使し、バロック絵画を予告しながら、甘美な幻想性、官能性に包まれた情感豊かな独自の作風を築き上げている。エミリア地方にその活動範囲は限られ、短命であったにもかかわらず、バロック絵画の先駆者の一人として17、18世紀のイタリア絵画に多大の影響を及ぼした。

[三好 徹]

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