柳沢 文正
ヤナギサワ フミマサ
昭和期の医学者 柳沢成人病研究所長。
- 生年
- 大正1(1912)年8月18日
- 没年
- 昭和60(1985)年5月4日
- 出生地
- 長野県上田市
- 学歴〔年〕
- 九州帝大農学部卒,新潟医科大学卒
- 学位〔年〕
- 医学博士,農学博士
- 経歴
- 昭和18年新潟医科大学教授、24年広島原子力影響所生化学部長を経て、27年東京都立衛生研究所臨床試験部長に。37年合成洗剤ABS(アルキルベンゼン・スルフォン酸ソーダ)の毒性と公害問題に関する研究論文を日本で初めて発表。この論文がきっかけとなって、合成洗剤追放の市民運動が各地で広がった。著書に「日本の洗剤その総点検」「食べる」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
柳沢文正 やなぎさわ-ふみまさ
1912-1985 昭和時代の公衆衛生学者。
大正元年8月18日生まれ。母校新潟医大の教授などをへて都立衛生研究所臨床試験部長。昭和37年実弟柳沢文徳(ふみよし)と合成洗剤(ABS)の有害性を指摘した。昭和60年5月4日死去。72歳。長野県出身。著作に「日本の洗剤―その総点検」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 