日本歴史地名大系 「柴又帝釈天遺跡」の解説
柴又帝釈天遺跡
しばまたたいしやくてんいせき
柴又帝釈天(題経寺)を中心に広がる江戸川右岸の微高地に立地する。奈良・平安時代を主体とし、中世・近世に及ぶ遺構・遺物が発見されている。養老五年(七二一)の下総国葛飾郡大島郷戸籍(正倉院文書)に記される「嶋俣里」に関係する遺跡として注目される。大島郷に関連する奈良・平安時代の資料としては総柱の掘立柱建物跡、木組の井戸、溝などの遺構が発見されている。遺物としては土師器や須恵器の坏・甕のほか、須恵器製の水滴や墨書土器なども出土している。柴又帝釈天参道脇の地点で発見された木組の井戸内からは漆器皿、口縁と底部を故意に欠損させた須恵器壺、支脚、刀を模した木製品などが出土しており、嶋俣里の人々が井戸埋めに際し、井戸鎮めの儀礼を行っていたことがうかがわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報