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柴山伊兵衛 しばやま いへえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柴山伊兵衛 しばやま-いへえ

1611-1703 江戸時代前期の治水家。
慶長16年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)武儀(むぎ)郡関村の富農。名古屋藩浪人の喜田(きた)吉右衛門,その弟林幽閑とともに長良川から水をひく曾代(そだい)用水の開削を計画。寛文7年(1667)に着工し,9年幹線水路13kmをほぼ完成させたが,家産をつかいはたして逼塞(ひっそく)した。用水管理は水利組合にひきつがれた。元禄(げんろく)16年5月15日死去。93歳。名は直之。のち吉右衛門兄弟とともに井神(いがみ)社にまつられた。

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朝日日本歴史人物事典の解説

柴山伊兵衛

没年:元禄16.5.15(1703.6.28)
生年:慶長16(1611)
江戸前期,美濃国(岐阜県)の用水開削者。武儀郡関村(関市)の酒造も営む富裕な農家に生まれ,名は直之,字は昨夢,五郎右衛門とも称した。同村の旧尾張藩士の浪人喜田吉右衛門と弟の林幽閑と共同で荒地の開拓をはかり,用水開削を計画。寛文7(1667)年着工,曾代で長良川から取水し上有知を経て小屋名にいたる曾代用水を同9年にほぼ完成した。しかし2000両にもおよんだ幹線工事,思うにまかせぬ新田開発などにより寛文11年に喜田が病没(失踪とも)し,林も手を引き,ひとり用水の経営に当たるが窮乏し,晩年は失意のうちに逼塞したという。宝暦年間(1751~64)に碑が,文政10(1827)年には3人を祭る小社(後に井神社)が建てられた。<参考文献>日置弥三郎「近世美濃の二大用水開鑿」(『岐阜史学』55号),『岐阜県史/通史編』近世下

(松田之利)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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