日本大百科全書(ニッポニカ) 「信仰復興運動」の意味・わかりやすい解説
信仰復興運動
しんこうふっこううんどう
Great Awakening
18世紀前半のアメリカ植民地の宗教運動。大覚醒(だいかくせい)運動とも訳す。1726年ごろオランダ改革派牧師フレリングヒーズンTheodore J. Frelinghuysen(1691―1747)が、ニュー・ジャージーで熱烈な伝道を行ったのが発端である。そのころ、会衆派牧師テネントWilliam Tennent(1673―1745)は、ペンシルベニアのネシャミニーで伝道のかたわらロッグ・カレッジLog College(後のプリンストン大学)を建てて、少数の青年たちに牧師養成教育を行っていた。彼らは、フレリングヒーズンの影響を受けて、38年ニュー・ブランズウィックで熱心な伝道を行い、多くの入信者を得たが、その指導者はW・テネントの子G・テネントGilbert Tennent(1703―64)であった。ロッグ・カレッジ運動ともいわれるこの信仰復興運動は、ペンシルベニアから中部植民地に広がっていった。それと前後して、マサチューセッツにおいてもノーザンプトンの会衆派牧師エドワーズJonathan Edwards(1703―58)によって、1733年ごろから信仰復興が起こされ、コネティカット川流域の農村社会に広がっていた。また、イギリス本国でも信仰復興がウェスリーJohn Wesley(1703―91)によって起こっていた。メソジスト運動である。その説教者であるホイットフィールドGeorge Whitefield(1714―70)は、39年アメリカに渡来し、前記G・テネント、エドワーズの運動に協力して各地において伝道説教を行った。ホイットフィールドは、南はジョージアから北はニュー・イングランドまで足を伸ばし、教派を超えて全植民地に信仰の炎を燃え上がらせた。これによって、各教派の連帯感が深められ、植民地相互の理解が促進されたが、それはアメリカ独立戦争に際し植民地が団結して勝利をかちとった一つの要因ともなった。信仰復興運動は18世紀後半には急速に衰退したが、運動を通して教会が発展したばかりでなく、エドワーズらによってアメリカ神学の発展がみられ、いわゆる「ニュー・イングランド神学」が形成されたことは、思想史上大きな貢献であった。
[曽根暁彦]
『曽根暁彦著『アメリカ教会史』(1974・日本基督教団出版局)』