柵原村(読み)やなはらむら

日本歴史地名大系 「柵原村」の解説

柵原村
やなはらむら

[現在地名]柵原町柵原

現町域南部、吉井川左岸沿いに立地。「東作誌」に記す地字は北から尾崎おさき高山こうざん・柵原と連なり、東は休石やすみし村と接し、対岸久木ひさぎ村。弘治三年(一五五七)仮託の美作国献上記(美作古簡集)の総津名に「棚原津」とみえる。正保郷帳に村名がみえ、田五五石余・畑五一石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高二二石余・開高三石余、村位は下。「東作誌」によれば毛付高七五石余、家数三六、男七〇・女五四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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