柵瀬軍之佐(読み)サクライ グンノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「柵瀬軍之佐」の解説

柵瀬 軍之佐
サクライ グンノスケ


肩書
衆院議員

生年月日
明治2年1月15日

出生地
陸中国西磐井郡中里村

学歴
英吉利法律学校〔明治22年〕卒

経歴
山梨日日新聞主筆から明治25年嚶鳴社、さらに毎日新聞編集長に転じ、立憲改進党入党。その後赤羽万次郎北国新聞発刊。27年日清戦争には毎日新聞戦時通信員となった。31年大倉組台湾支店支配人、38年合名会社柵瀬商会を設立石炭火薬銅鉄などを販売。40年以来衆院議員当選6回。大正14年加藤高明内閣商工政務次官となり、昭和2年辞職、立憲民政党相談役。商工審議会、関税審議会、肥料調査委員会各委員も務めた。

没年月日
昭和7年8月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柵瀬軍之佐」の解説

柵瀬軍之佐 さくらい-ぐんのすけ

1869-1932 明治-昭和時代前期の実業家,政治家
明治2年1月15日生まれ。柵瀬信六郎の3男。「東京毎日新聞」編集長などをへて実業界にうつる。明治38年柵瀬商会を創設。また台湾商工銀行,台湾瓦斯(ガス)などの重役をつとめる。41年衆議院議員(当選6回,民政党)。昭和7年8月28日死去。64歳。陸中磐井郡(岩手県)出身。英吉利(イギリス)法律学校(現中央大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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