栄山寺領
えいさんじりよう
宇智郡内の栄山寺領は、天元三年(九八〇)とみられる太政官符案(彰考館本栄山寺文書)によると「墓山地弐佰捌拾町」「西新開弐拾町陸段」「高栗栖牧地参拾町」の三地域に大別される。
墓山地二八〇町については
<資料は省略されています>
とある。墓山は現小島町小島山に比定。同山には藤原武智麻呂の墓があるとされている。佐味条七里の水田は、鵜野村の四至と村名から、現小島町から宇野町に至る地域と考えられる。また河南三条五里の田地は、吉野川南岸の現野原町に比定される。
西新開二七町六段については
<資料は省略されています>
とあるが、水田の坪付(括弧内は坪数)は郡条二里(四)、真土条八里(三)、重坂条三里(三)、佐味条五里(一)である。これによると西新開は下堤村にあったものと考えられるが、四至からみると栄山寺地を含み、宇智川以西、吉野川北部の地域、現小島町から西は現相谷町辺りに至る間のうちに比定できよう。山は不明というほかないが、水田三町九段余が右の間に散在していたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報