藤原武智麻呂(読み)フジワラノムチマロ

デジタル大辞泉 「藤原武智麻呂」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐むちまろ〔ふぢはら‐〕【藤原武智麻呂】

[680~737]奈良初期の公卿不比等ふひと長男南家の祖。大納言右大臣などを経て左大臣になったが、疫病死亡

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精選版 日本国語大辞典 「藤原武智麻呂」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐むちまろ【藤原武智麻呂】

  1. 奈良初期の公卿。不比等の長男。南家の祖。大納言・右大臣などを経て左大臣になったが、疫病で死亡。天武九~天平九年(六八〇‐七三七

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原武智麻呂」の意味・わかりやすい解説

藤原武智麻呂 (ふじわらのむちまろ)
生没年:680-737(天武9-天平9)

奈良時代の官人。藤原不比等の長子。母は宗我蔵大臣(蘇我武羅自古)の女娼子。房前と同母。豊成,仲麻呂の父。南家の祖。平城京の左京の私邸が房前の北家に対し南にあったので南卿,南家とよばれた。701年(大宝1)良家の子弟として内舎人(うどねり)に選ばれ,翌年に中判事となり条式(行政司法の内規か)を定めた。その後大学助,大学頭,図書頭を歴任したが,その間大学を復興し,また壬申の乱以来零落欠少していた官書の書写補充に努めるなど,学問・教育に力をいれた。712年(和銅5)からは近江守として任国に赴き,寺家の復興や善政に努めた。716年(霊亀2)式部大輔,718年(養老2)式部卿となり,翌年には皇太子(首皇子,のち聖武天皇)の東宮傅に任ぜられた。皇太子は武智麻呂の教導で田猟の遊を廃し,文教の善に赴いたという。721年従三位に昇り,中納言となり,さらに造宮卿を兼ねて平城宮を改作し,724年(神亀1)には正三位となった。729年(天平1)の長屋王の変に際し,王の窮問にあたり,変の直後に大納言となった。731年大宰帥を兼ね,734年従二位右大臣となって,藤原不比等の4子の中でも首位にたち,政権を掌握した。しかし,737年に他の兄弟とともに流行した天然痘にかかり,左大臣正一位に昇叙されたが,翌日死去し,佐保山で火葬された。子の仲麻呂の奏請により760年(天平宝字4)贈太政大臣となった。武智麻呂の伝記には,仲麻呂が延慶に書かせた〈武智麻呂伝〉(《家伝》)がある。なお墓は大和国宇智郡阿陁(あだ)郷にあり,その墓山などがのちに栄山寺領基礎となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原武智麻呂」の意味・わかりやすい解説

藤原武智麻呂
ふじわらのむちまろ
(680―737)

奈良時代の政治家。不比等(ふひと)の長男で南家(なんけ)の祖。幼くして母を失い、病弱であったが、読書を好みまた仏教に深く帰依(きえ)したという。701年(大宝1)に内舎人(うどねり)になり、以後大学頭(かみ)となり大学の発展に尽くし、また図書頭(ずしょのかみ)となって壬申(じんしん)の乱で散逸していた図書を集めた。その後式部卿(しきぶきょう)を経て721年(養老5)中納言(ちゅうなごん)に進み、729年(天平1)2月の長屋王の変にあたっては王の糺問(きゅうもん)に赴き、翌月大納言、さらに734年に従(じゅ)二位右大臣に昇進した。しかるに3年後に天然痘にかかり、天平(てんぴょう)9年7月25日、正一位左大臣に昇進した日に死去した。伝記に僧延慶撰述(せんじゅつ)の『武智麻呂伝』(『藤氏(とうし)家伝』下巻)がある。

[福井俊彦]

『野村忠夫著『律令政治の諸様相』(1968・塙書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原武智麻呂」の意味・わかりやすい解説

藤原武智麻呂
ふじわらのむちまろ

[生]天武9(680).奈良
[没]天平9(737).7.25. 奈良
奈良時代初期の廷臣。父は不比等。母は蘇我武羅自古の娘。藤原4家の一つ南家の祖。和銅4 (711) 年従五位上,式部卿,正四位下を経て養老5 (721) 年従三位,中納言。天平1 (729) 年謀反の罪で長屋王が自殺すると,大伴旅人をさしおいて大納言,同6月右大臣,同9年左大臣となったが,当時流行した痘瘡にかかって没した。性温和で仏教を信じたという。『藤原武智麻呂伝』は子の仲麻呂が撰述させた伝記。

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百科事典マイペディア 「藤原武智麻呂」の意味・わかりやすい解説

藤原武智麻呂【ふじわらのむちまろ】

奈良前期の高官。不比等(ふひと)の子。南家(なんけ)の祖。長屋王(ながやおう)の変後勢力をのばし,734年右大臣に進んだが,737年天然痘にかかり,正一位左大臣に任ぜられた翌日に死んだ。仏教興隆に意を注いだことが知られる。
→関連項目家伝

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤原武智麻呂」の解説

藤原武智麻呂
ふじわらのむちまろ

680~737.7.25

奈良前期の公卿。不比等(ふひと)の長男。母は蘇我連子(むらじこ)の女娼子。南家の祖。内舎人(うどねり)として出身し,705年(慶雲2)従五位下に叙され,大学頭・近江守・式部卿などを歴任。721年(養老5)正三位に昇り中納言となる。皇太子傅(ふ)として首(おびと)皇子(聖武天皇)の教育にあたる。長屋王の変に際し,王を糾問。変後に大納言に昇り,右大臣に至る。737年(天平9)正一位左大臣となった直後に天然痘にかかり没した。延慶(えんけい)撰上の伝記「武智麿伝」(「藤氏家伝」下巻)がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原武智麻呂」の解説

藤原武智麻呂 ふじわらの-むちまろ

680-737 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天武天皇9年4月生まれ。藤原不比等(ふひと)の長男。母は蘇我連子(むらじこ)の娘,娼子。南家の祖。東宮傅(ふ)として皇太子(聖武天皇)を教育。養老5年(721)中納言となり,神亀(じんき)6年長屋王失脚ののち大納言,天平(てんぴょう)6年右大臣にのぼる。天平9年疫病の病床に正一位,左大臣をおくられ,同年7月25日死去。58歳。贈太政大臣。

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旺文社日本史事典 三訂版 「藤原武智麻呂」の解説

藤原武智麻呂
ふじわらのむちまろ

680〜737
奈良時代の公卿。南家の祖
南家の名は,武智麻呂の邸宅が弟房前の邸宅の南方にあったため。左大臣。正一位。不比等の長男。温和淡白な性格で仏法を崇敬した。737年疫病のためほかの3兄弟とともに死亡した。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原武智麻呂の言及

【栄山寺】より

…奈良県五条市にある真言宗豊山派の寺。719年(養老3)に藤原武智麻呂が創建したと伝える。もと前山(さきやま)寺と称したが,10世紀後半ころには栄山寺とよばれるに至った。…

【延慶】より

…奈良後期の僧侶。生没年不詳。藤原氏《家伝》下巻〈武智麻呂伝〉の著者。《続日本紀》天平宝字2年(758)8月2日条に〈外従五位下僧延慶,形俗に異なるをもって,その爵位を辞す。詔してこれを許す。その位禄,位田はこれを収めず〉とあり,外位を与えられたところよりみると,地方豪族出身らしい。天平宝字年間(757‐765)の権力者藤原仲麻呂の父,武智麻呂の伝記を著したのをみると,藤原南家と親しい,家僧のような地位にあったものか。…

【藤原氏】より

…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…

【藤原不比等】より

…奈良時代初期の重臣。史(ふひと)とも表記。鎌足の次男で,母は車持君国子(くるまもちのきみくにこ)の娘の与志古(よしこ)。幼時は山科(京都市山科区)の田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の家で育ったので,史と名づけられたという。父の死後3年目に起こった壬申の乱では,田辺一族から近江方の将軍となった者も出たが,不比等自身はまだ少年であったし,乱後の天武朝には,姉妹の氷上(ひかみ)や五百重(いおえ)が天武夫人(ぶにん)としてそれぞれ但馬(たじま)皇女や新田部皇子を生んだためもあって,順調に官途を歩みだしたらしく,持統朝で判事(はんじ)に任命されたときには,数え年31歳で直広肆(じきこうし)(従五位下相当)に昇っていた。…

※「藤原武智麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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