栄長寺跡
えいちようじあと
天明八年(一七八八)の名高山行伝院栄長寺縁起では、大同年中(八〇六―八一〇)大内氏が地蔵菩薩を本尊として、草場に精舎を創建。観応三年(一三五二)豊田氏一一代伊賀守種貞の菩提を弔うため、翌年その子種長はこの精舎を再興し禅宗求休庵と称した。その後豊田氏の臣埴生孫右衛門が剃髪し行伝常阿と称して、殿敷村満蔵院の三尊を本尊として移し、天文四年(一五三五)種貞の追善のため浄土宗行伝寺と改め再興。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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