栗原忠二(読み)クリハラ チュウジ

20世紀日本人名事典 「栗原忠二」の解説

栗原 忠二
クリハラ チュウジ

明治〜昭和期の洋画家



生年
明治19(1886)年10月21日

没年
昭和11(1936)年11月12日

出生地
静岡県三島

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科〔明治45年〕卒

経歴
明治45年渡英し、大正3年頃ロンドンでフランク・ブランギン師事。国際美術協会展などに出品し、8年英国王立美術家協会準会員に推挙される。11年日本橋三越で水彩画展を開き、13年帰国。15年再渡英し、英国王立美術家協会正会員となり、昭和2年帰国した。3年東京朝日新聞社で滞欧作品展を開催、4年帝展に「羅馬の夕」を出品、同年第一美術協会創立に参加。8年築地洋画研究所を設立、主宰した。10年海軍省より上海事変記録画制作を依嘱され、「豊島沖海戦」などを制作。代表作に「リッチモンド」「陽陰の堤防」「野路」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗原忠二」の解説

栗原忠二 くりはら-ちゅうじ

1886-1936 大正-昭和時代前期の洋画家。
明治19年10月21日生まれ。45年渡英し,ロンドンでブランギンらに師事して水彩画をまなぶ。大正15年外国人初のイギリス王立美術家協会正会員となる。昭和8年築地(つきじ)洋画研究所を設立した。昭和11年11月12日死去。51歳。静岡県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「リッチモンド」「野路」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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