栗崎城跡(読み)くりさきじようあと

日本歴史地名大系 「栗崎城跡」の解説

栗崎城跡
くりさきじようあと

[現在地名]倉淵村三ノ倉 栗崎

さんくら城ともいう。全透ぜんとう院北方から裏山にかけて位置し、同寺が居館にあたる。長さ九〇メートルの長方形で、本郭と二重の腰曲輪からなる。大手は真南、虎口は枡形様の坂虎口。搦手は北で、二ヵ所に土囲と堀切がはっきりしている。城から一〇〇メートル余り北方には水の手があり地蔵尊が立つ。当地一帯では延徳元年(一四八九)木部新九郎が全透院を開き、のち同寺中興開基となった大戸おおど(現吾妻郡吾妻町)の浦野氏の支配下にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む