日本歴史地名大系 「三野倉村」の解説
三野倉村
さんのくらむら
群馬郡に属し、北は
「曾我物語」(妙本寺本)巻五によれば、源頼朝は建久四年(一一九三)四月の浅間の巻狩の際、榛名山西麓の烏川沿いを通っており、「三倉」の地名がみえる。観応三年(一三五二)五月九日付今川範国施行状(鎌倉市中央図書館蔵)により、榛名山寺領「三蔵」は、同寺執行職とともに頼印に与えられている。「頼印大僧正行状絵詞」に南北朝頃榛名山の支配権をめぐる権力争いで、座主快尊方と執行頼印方が烏川で戦ったことが記される。
応永二四―三一年(一四一七―二四)頃と考えられる三月二八日付の足利持氏より細川満元に宛てた書状(榛名神社文書)には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報