日本歴史地名大系 「桂南庄」の解説 桂南庄かつらみなみのしよう 京都市:西京区牛ヶ瀬村桂南庄康永元年(一三四二)細川顕氏(侍所別当、讃岐・河内・和泉守護)がその地頭職を勝薗寺(しようえんじ)(現在地未詳)に寄進したのが初見(「康永元年六月二七日寄進状」阿波国徴古雑抄)。応永一二年(一四〇五)の足利義満安堵状に「桂南荘内牛瀬村」とあり(「応永一二年九月六日義満御判御教書」多賀本古文書)、牛瀬(うしがせ)を含む下津林(しもつばやし)付近と推定される。東寺百合文書では明応年間(一四九二―一五〇一)の桂川用水差図案に西岡(にしのおか)十一ヵ郷の一として牛瀬が図示され、また山城西岡五ヵ庄の内であるともみえる(明応五年四月一五日幕府奉行人奉書案)ので、当時すでに桂南庄の名は消え、牛瀬が独立の名称として使われていたことを知る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by