日本歴史地名大系 「西岡」の解説
西岡
にしのおか
- 京都市:西京区
- 西岡
旧
文献では建武三年(一三三六)七月一一日付足利尊氏御教書(東寺百合文書)に「山城国西岡」とあるのが早い。畿内に強固な支配基盤を持たぬ足利尊氏の幕府は、京都と西国・山陽道を結ぶ重要地点の乙訓郡一帯を掌握するため、
西岡衆は、奉公衆(将軍の親衛隊長)の下に属する下級武士団であり、室町中期までは、山城守護から半ば独立した存在であった。ところが、正長元年(一四二八)管領畠山満家が山城守護を兼帯(満済准后日記)して以来、特に宝徳元年(一四四九)以降は一、二の例外を除き畠山氏のみから山城守護が任ぜられ、西岡衆もしだいに畠山氏の影響力を受けるようになった。永享九年(一四三七)八月の鎮守八幡宮供僧評定引付(東寺百合文書)などからも、守護が管国内の地侍の被官化をはかっていることがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報