牛ヶ瀬村(読み)うしがせむら

日本歴史地名大系 「牛ヶ瀬村」の解説

牛ヶ瀬村
うしがせむら

[現在地名]西京区牛ヶ瀬〈青柳あおやなぎ町・あしもとおくぼう川原口かはらぐち町・くるま鮫呼さめよび新開しんかい新田泓しんでんぶけ高刎たかはね町・堂田どうでん長瀬ながせ西柿にしがき西にしくち町・はやしもと的場まとば見附みつけみなみくち町・もも町・山柿やまがき町・弥生やよい町〉

桂川右岸に位置。北を下桂しもかつら、西を下津林しもつばやし、南は乙訓おとくに久世くぜ(現南区)の各村に接する。応永一二年(一四〇五)の足利義満御教書(多賀本古文書)に「桂南庄内牛瀬村」とあり、中世桂南かつらみなみ庄の一村を構成していたことがわかる。

享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳では村高二〇〇・四石のすべてが妙法院知行、天保郷帳では二五〇石に増大し、二石弱の天領(京都代官小堀氏の支配)を除き、妙法院領。

牛ヶ瀬村
うしがせむら

[現在地名]篠山市牛ヶ瀬

犬飼いぬかい村の東に位置し、どろ川が流れる。北に音羽おとわ山がある。天正一六年(一五八八)頃、摂津から招いた馬医の子二人を大沢おおざわ村の南に置いて灌漑用水を守護させているが、これが牛ヶ瀬村民の祖であるという(丹波志)。承応三年(一六五四)犬飼村から分立したという。「丹波志」に酒井さかい庄のうちとして「牛ケ瀬」とみえ、高一三四石余のうち犬飼村高二五石余から入ると記される。天明三年(一七八三)の篠山領内高並家数人数里数記では真南条組のうちで、家数二一・人数一三二。

牛ヶ瀬村
うしがせむら

[現在地名]清和村つる

東と北は鶴底つるそこ村、西は麻生あさお(現矢部町)と接する。慶長国絵図に村名がみえる。矢部手永に属し、小村として「国誌」は小野原村原尻はるじり村を、ほかに「肥集録」は平尾の、肥後国中寺社御家人名附原小野はるおのを記す。文政九年(一八二六)矢部手永略手鑑によれば高一三三石八斗余、田畝二町九畝余・畑畝五町五反六畝余・苅畑一町一反二畝、竈数二八、男五八・女五六、牛七一・馬八四。

牛ヶ瀬村
うしがせむら

[現在地名]御船町滝川たきがわ

東と南は御船町村に接し、北は今城いまじよう村。村内を御船川が流れる。慶長国絵図に村名がみえる。木倉手永に属し、「国誌」は小村として上村・下村・平村を記す。明治初年の木倉手永手鑑によれば高五六五石八斗余、田畝七町八反九畝余・畑畝二八町五反六畝余、竈数三三・人数五八七、牛馬五四。明治九年(一八七六)今城村と合併して滝川村となった。合併後の同一四年の民業戸数は農業二五〇、漁業一〇、旅籠屋六、造酒職・鍛冶職各三、醤油職・桶職各二、質屋・染物職・大工職・左官職・畳刺職・水車職・洗湯職各一、日本型船一三(荷船一二・漁船一)で、特産品として鮎七〇貫があげられる(郡村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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