日本歴史地名大系 「桃久保村」の解説 桃久保村ももがくぼむら 愛知県:額田郡額田町桃久保村[現在地名]額田町小久田(おくだ)富尾(とんびゆう)村から切山(きりやま)村に通る里道沿いに集落が立地する山間の村。東は赤田輪(あかだわ)村、西は富尾村、南は小楠(おぐす)村、北は蘭(あららぎ)村(現東加茂郡下山村)と各々山で接する。中世、日近(ひちか)庄に属したといい、日近郷一二ヵ村と称した。天正一八年(一五九〇)に岡崎城主田中吉政領、慶長六年(一六〇一)に岡崎藩領に編入。宝暦一二年(一七六二)より幕府領。明和七年(一七七〇)に再び岡崎藩領に戻り明治に至る。寛永郷帳高は二〇九石余。天保一一年(一八四〇)の免状(永井家文書)では村高一二七石余で、内訳は田高七〇石余・畑高五一石余・新田高三斗余・新畑高五石余である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by