日本歴史地名大系 「桃生城跡」の解説
桃生城跡
ものうじようあと
[現在地名]河北町飯野 中山・大田・沢入畑、桃生町太田 小池
河北町北西部、西側が北上川の旧河道に面した小丘陵上、通称配陸奥国桃生、出羽国小勝、以清風俗、亦捍辺防」とあり、桃生城造営のため柵戸の移配が行われたことを示す。同二年一〇月二五日条に「発陸奥国浮浪人、造桃生城」とあり、同年一二月八日条には「徴発坂東騎兵、鎮兵、役夫、及夷俘等、造桃生城小勝柵」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報