桃生城跡(読み)ものうじようあと

日本歴史地名大系 「桃生城跡」の解説

桃生城跡
ものうじようあと

[現在地名]河北町飯野 中山・大田・沢入畑、桃生町太田 小池

河北町北西部、西側が北上川の旧河道に面した小丘陵上、通称長者森ちようじやもり地区に立地する古代城柵跡で、桃生柵とも称される。位置について多くの説があったが、昭和四九年(一九七四)・五〇年の発掘で当地に確定した。史料上では「続日本紀」に散見し、奈良時代の対蝦夷政策を解明するうえで注目される。「続日本紀」天平宝字元年(七五七)四月四日条の勅に「其有不孝不恭不友不順者、配陸奥国桃生、出羽国小勝、以清風俗、亦捍辺防」とあり、桃生城造営のため柵戸の移配が行われたことを示す。同二年一〇月二五日条に「発陸奥国浮浪人、造桃生城」とあり、同年一二月八日条には「徴発坂東騎兵、鎮兵、役夫、及夷俘等、造桃生城小勝柵」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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