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桃生城 もものうじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桃生城
もものうじょう

奈良時代,陸奥国牡鹿郡桃生につくられた蝦夷経略の城柵 (→ ) 。「ものうじょう」とも読む。宮城県登米市南東部の北上川河畔にある茶臼山がその城柵跡に比定される。天平宝字年間 (757~765) 頃,陸奥国の浮浪人を使って造築し,諸国の百姓を移住させた。

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百科事典マイペディアの解説

桃生城【ものうじょう】

陸奥(むつ)国に設置された古代の城柵(じょうさく)。〈もものうじょう〉〈ももうのき〉ともいう。桃生柵とも記される。遺跡は宮城県桃生郡河北町(現・石巻市)飯野に比定されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ものうじょう【桃生城】

陸奥国(現,宮城県)に築かれた古代の城柵。〈もものうじょう〉〈ももうのき〉ともいい,桃生柵にもつくる。8世紀の半ば以降になると陸奥国では,海道に桃生城が,山道に伊治(いじ)城それぞれ配置される。737年(天平9)にみえる牡鹿,新田,色麻,玉造などの諸柵で一応宮城県北鳴瀬川江合川流域をすでに把握していたが,さらに歩を一歩進めようと意図したものである。これは東北の行政・軍事の全権を掌握した藤原朝獦(あさかり)が出羽国の雄勝城とともに,築造に力を注いだ城である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桃生城
もものうじょう

「ものう」とも読む。奈良時代東北地方に設置された城柵(じょうさく)。当時の陸奥(むつ)国北部の牡鹿(おしか)郡の地に、757年(天平宝字1)、時の権勢者藤原仲麻呂(なかまろ)によって造営の計画がたてられ、759年には完成したようである。この造営計画は仲麻呂の子朝(あさかり)によって実現された。桃生城の造営は出羽(でわ)国の雄勝(おかち)城の建設と同時に実施された。この造営を機会に積極的な東北政策が進められ、この後の蝦夷(えぞ)との武力衝突の因となる。桃生城も774年(宝亀5)蝦夷に攻められ、焼かれている。その遺跡は宮城県石巻(いしのまき)市飯野にある。標高60~80メートルの独立丘陵の南端にあり、南には蛇行する旧北上川の流路が残っている。遺跡の規模は東西650メートル、南北700メートルの不整方形をなしている。[平川 南]

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世界大百科事典内の桃生城の言及

【桃生[町]】より

…北上川の新旧流路にはさまれ,新流路沿いの東部は丘陵,旧流路沿いの西部は低地となっている。奈良時代に蝦夷地経営の軍事的拠点として桃生城が築かれ,開拓が進められた。中世は葛西氏が支配し,近世は仙台藩領であった。…

【桃生城】より

…〈もものうじょう〉〈ももうのき〉ともいい,桃生柵にもつくる。8世紀の半ば以降になると陸奥国では,海道に桃生城が,山道に伊治(いじ)城がそれぞれ配置される。737年(天平9)にみえる牡鹿,新田,色麻,玉造などの諸柵で一応宮城県北鳴瀬川・江合川流域をすでに把握していたが,さらに歩を一歩進めようと意図したものである。…

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