朝日日本歴史人物事典 「桐山正哲」の解説
桐山正哲
生年:生年不詳
江戸中期の本草家,蘭方医。津軽(弘前)藩医桐山家の第4代。初め正倫,のち正哲と称す。諱は永世。天明8(1788)年近習医に昇進。杉田玄白らの『解体新書』翻訳者のひとり。「洋学者相撲見立番附」「洋学者芝居見立番附」に行司,作者として名を連ねる。天明1(1781)年〓寿館(のち幕府の医学館)で開催された第1回薬品会の会主を務めた。出品人105人,出品点数900点にのぼる大規模なもので,正哲の実力が知られる。本草学者桐山正怡は『学本草随筆』の著書があるが,正哲の弟ではないかと思われる。<参考文献>松木明・松木明知『津軽の医史』正・続,松木明知『青森県の医史』
(松木明知)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報