桜島郷(読み)さくらじまごう

日本歴史地名大系 「桜島郷」の解説

桜島郷
さくらじまごう

鹿児島藩の直轄外城の一。向島むかいのしま郷とも称された(三州御治世要覧)。大隅国大隅郡に属した桜島に所在した横山よこやま赤水あかみず小池こいけ赤生原あこうばるたけ藤野ふじの西道さいどう松浦まつうら二俣ふたまた白浜しらはま、および高免こうめん黒神くろかみ瀬戸せとわきあり湯之ゆの野尻のじり古里ふるさと(現鹿児島市)の一八ヵ村からなり、いずれの村も桜島の外周部に位置する。なお沖之おきの(沖小島)を加え一九ヵ村とすることもある。諸郷地頭系図は初代地頭を本田董親とする。文禄四年(一五九五)六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)には、大隅国始羅しら郡として向之島一千七七九石余とあり、島津義弘蔵入分とされている。元禄一一年(一六九八)一二月、向ノ島を桜島と称するように達せられ(旧記雑録)、以後桜島が公式名称となった。藤井本「要用集抄」によれば、正徳三年(一七一三)頃の所惣高二千八四石余、「三州御治世要覧」では延享(一七四四―四八)頃の高二千六六八石余。天明二年(一七八二)に側役から大目付座へ提出された高付によれば高二千三九九石余、うち蔵入一千七一七石余・給地六八一石余(「鹿児島藩租額事件」東京大学史料編纂所蔵)。「薩藩政要録」では文政七年(一八二四)の高二千七〇五石余。

文政七年当時、桜島郷の郷士家四四六軒のうち二七四軒は横山村の麓に集まっているが、残りは一一村に分散していた(九州東海辺沿海村順)。寛永一六年(一六三九)には向之島として郷士高六三一石余、衆中八九人はすべて知行取で、三〇石以上一人(列朝制度)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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