出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… このように各派に名手が輩出して全国に流行した浪花節も,大正中期以後,落語,講談とともに映画の進出に圧倒されて衰退の傾向をたどっていたが,昭和時代にはいって,満州事変以後,太平洋戦争にかけて,国家主義的な時代風潮を背景にして,ふたたび隆盛の様相を呈した。この時期には,《壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)》の浪花亭綾太郎(1893‐1960),《佐渡情話》の寿々木米若(すずきよねわか),《天保水滸伝(すいこでん)》の2代玉川勝太郎,《清水次郎長伝》の2代広沢虎造,《紀伊国屋(きのくにや)文左衛門》の梅中軒鶯童(ばいちゆうけんおうどう),《赤城の子守唄》の春日井梅鶯(ばいおう)(1908‐74),《義士伝》の3代吉田奈良丸,《恩讐(おんしゆう)の彼方に》をはじめとする文芸浪曲の酒井雲(さかいくも)(1899‐1973),《唄入り観音経》の三門博(みかどひろし)(1907‐ ),《野狐三次(のぎつねさんじ)》の東家浦太郎(1919‐ ),《灰神楽(はいかぐら)三太郎》の相模(さがみ)太郎(1899‐1972),七色の声を使い分けた女流浪曲の雄2代天中軒雲月(伊丹秀子(いたみひでこ))など多くの人気者があらわれ,レコード,ラジオの普及,〈浪曲映画〉による映画とのタイアップなどによって,それ以前にも見られなかったほどに浪花節が大衆のなかに浸透していった。
[戦後の浪曲界]
第2次大戦後は,軍事物や義士物など封建的演題への反動によって不振をきわめていたが,しだいに復活して,浅草国際劇場や明治座などの大劇場において浪曲大会を開催したこともあり,民間放送発足以来,大衆芸能の主要な種目としての座を獲得し,浪曲台本の専門作家も多く見られるようになり,一方,〈浪曲天狗道場〉のようなラジオ聴取者参加番組も製作された。…
※「梅中軒鶯童」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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