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紀伊国屋文左衛門 きのくにや ぶんざえもん

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江戸・東京人物辞典の解説

紀伊国屋文左衛門

1669?〜1734(??年〜享保19年)【豪商】一代で築いた巨万の富を、一代で使い果たした「紀文大尽」。 江戸中期の豪商。紀伊国(和歌山県)生まれとされ、紀州みかんを江戸に運ぶ商売で利を得、のち材木商として江戸に進出。老中柳沢吉保に取り入り、幕府の御用達商人となる。中でも上野寛永寺の用材調達で投機的に巨万の富を得た。吉原で奈良屋茂左衛門大尽遊びを競った話など、豪遊伝説が残る。柳沢吉保失脚後に廃業、落魄した生活を送ったという。

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監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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百科事典マイペディアの解説

紀伊国屋文左衛門【きのくにやぶんざえもん】

江戸前・中期の豪商。生没年不詳。紀州熊野の出身で,紀州ミカンの江戸出荷と木材の買占めで巨富を築いたとされ,当時の豪商奈良屋茂左衛門とともに,大尽ぶり(紀文大尽)で有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

紀伊国屋文左衛門 きのくにや-ぶんざえもん

?-1734 江戸時代前期-中期の豪商。
紀伊(きい)(和歌山県)の人。貞享(じょうきょう)年間に江戸八丁堀材木問屋をひらき,寛永寺根本中堂造営の用材を調達して巨利をえる。老中柳沢吉保らとむすび,幕府用達(ようたし)として全盛をきわめ,紀文大尽とよばれた。正徳(しょうとく)のころ没落し,深川に隠棲。紀州みかんの江戸回漕,吉原豪遊などの話で知られるが,経歴には不明な点がおおい。享保(きょうほう)19年4月24日死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

紀伊国屋文左衛門

没年:享保19.4.24(1734.5.26)
生年:寛文9頃(1669)
江戸中期の江戸の豪商。没年66歳といわれる。紀文大尽とも。紀伊国の出身で,現在の和歌山県有田郡湯浅町別所の生まれと推定される。両親は不詳。はじめ紀州のみかんを江戸に回漕し,江戸から塩鮭を上方にもたらして巨利を得,当初の資本を蓄積したと伝えられる。貞享年間(1684~88)20歳のころ江戸に出,京橋本八丁堀3丁目に居所を構え,一町四方の屋敷に大きな材木問屋を開き,また材木置場を深川木場に置いた。江戸は火災が多く,その都度大建築が行われ,材木問屋は繁盛を極めた。なかでも紀文は老中柳沢吉保らと結託し,御用達商人として利権を得て巨利を占めた。元禄11(1698)年2月の上野寛永寺根本中堂の普請造営に関与し,その用材請負に成功,駿府(静岡県)の豪商松木新左衛門と組んで,一挙に金50万両の巨利を得たことは有名。また御用達として長崎貿易にも関係し,亜鉛(とたん)を原価で仕入れている。亜鉛の営業はリスクの多い商いとされていたが,材木とともに建築用材として利益の大きな商品であった。同14年以降,鋳銭事業を請け負ったといわれるが詳らかでない。 ところが元禄末以降,深川の材木置場のたびたびの火災による損害や,幕閣要人との不正などもあって失脚し,正徳年間(1711~16)には材木問屋を廃業。浅草寺内慈昌院地内に移り,次いで深川八幡一の鳥居北側に隠棲し,道具類の売り食いをする一方,風流な俳諧の生活に生涯を過ごした。その気質は闊達で豪快,任侠をこととし,千金を投じて吉原の大門を閉め独占するなどの豪遊があった。取り巻きにも俳人の榎本其角ら一流の文化人がついていた。事業も豪快,利益も巨額,浪費もまたすさまじかったことが,江戸っ子を広くひきつけ,日夜の噂の種になった。このことは幕府の勘定方役人の供応と,その財力についての信用を得るための演出とも考えられ,紀文個人の私生活は意外と質素なものがあったようだ。<参考文献>上山勘太郎『実伝紀伊国屋文左衛門』,『紀伊国屋文左衛門』(『南紀徳川史』),竹内誠「紀伊国屋文左衛門考証」(津田秀夫編『近世国家の成立過程』),安藤精一「紀伊国屋文左衛門」(『歴史教育』15巻11号),中田易直「紀伊国屋文左衛門」(『金融ジャーナル』1974年11月号)

(中田易直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きのくにやぶんざえもん【紀伊国屋文左衛門】

元禄時代の豪商。生没年不詳。通称紀文。江戸の本八丁堀三丁目に住し幕府の材木御用達として活躍,巨富を積んだ。たとえば1698年(元禄11)に江戸寛永寺根本中堂の資材調達を請け負ったと伝えられるほか,1700年には下総香取社の普請用材を調達している。これら用材は,おもに駿府(静岡市)の豪商松木新左衛門らとともに,大井川上流の駿州,遠州(静岡県)の山々から採材した。忍(おし)藩主阿部正武らに大名貸も行っていたらしい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

紀伊国屋文左衛門
きのくにやぶんざえもん

生没年不詳。元禄(げんろく)時代(1688~1704)の豪商。通称紀文、俳号千山(せんざん)。若年のとき暴風雨をついて故郷紀州(和歌山県)から蜜柑(みかん)船を江戸へ回漕(かいそう)し巨利を得たことや、遊里吉原での豪遊の話などで知られるが、その経歴は伝説化され、確かな史料に乏しい。貞享(じょうきょう)年間(1684~88)に江戸に進出、八丁堀で材木商を営み、1698年(元禄11)の上野寛永寺根本中堂(こんぽんちゅうどう)の造営に際して用材調達を一手に請け負い財をなしたといわれる。老中柳沢吉保(よしやす)・阿部正武、勘定奉行(ぶぎょう)荻原重秀(おぎわらしげひで)らに接近、御用商人として、奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)、淀屋辰五郎(よどやたつごろう)などとともに全盛を極めた。しかし、政権担当者が柳沢吉保から新井白石(あらいはくせき)にかわり、デフレ政策が展開され始めると家運は衰退し、宝永(ほうえい)(1704~11)末から正徳(しょうとく)(1711~16)のころには材木商を廃業、江戸深川一の鳥居付近に隠棲(いんせい)した。
 俳諧(はいかい)や絵もたしなみ、宝井其角(きかく)、英一蝶(はなぶさいっちょう)らと交友があった。1804年(文化1)に成立した山東京伝(さんとうきょうでん)の『近世奇跡考』には、享保(きょうほう)19年(1734)4月2日没とあるが、紀文を創業蓄財の父と遊蕩(ゆうとう)没落の子の2人と考える紀文二代説もあり、なお不明な部分の多い人物である。[大石 学]

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世界大百科事典内の紀伊国屋文左衛門の言及

【木場】より

…元禄期(1688‐1704)には幕府の建築事業が多かったため,御用材の調達を請け負う大商人が出現した。紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門は代表的商人である。とくに紀文は遊里での豪遊などで著名であった。…

【紀文大尽】より

…作曲4世吉住小三郎,3世杵屋(きねや)六四郎。吉原で豪遊する2代目紀伊国屋文左衛門が,江戸時代の元禄期に巨万の富を得た父紀文が,若き日に悲壮な決意をもって蜜柑(みかん)船で江戸に乗り込む夢を見る。夢からさめて一転して紀文の遊蕩的生態の描写,遊女几帳(きちよう)との色模様くどき,小判の豆まき,大尽舞をきかせる。…

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