梅原真隆(読み)ウメハラ シンリュウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「梅原真隆」の解説

梅原 真隆
ウメハラ シンリュウ


専攻分野
真宗学

肩書
参院議員(緑風会),浄土真宗本願寺派執行,顕真学苑主幹,富山大学学長

生年月日
明治18年11月11日

出身地
富山県滑川市

学歴
仏教大学(現・龍谷大学)研究科〔明治45年〕卒

経歴
大正8年仏教大学教授となり学監を兼任、11年龍谷大学と改称され、同教授、昭和4年まで務めた。5年顕真学苑を創設、「顕真学報」を刊行、また個人雑誌「親鸞研究」「道」も発行した。浄土真宗本願寺派執行、顕真学苑主幹、勧学寮頭、伝道院顧問などを歴任した。戦後21年専長寺住職。22年参議院全国区議員当選1回、緑風会に属し文部委員長を務めた。32年富山大学学長。友松円諦との指方立相論、極楽浄土否認論をめぐる論争は有名。また全国部落代表者会議発起人会の一人としても活躍。著書に「教行信証」「歎異鈔」「蓮如上人御一代記聞書」の訳注、「御伝鈔の研究」「教行信証新釈」「教行信証考説」「恵信尼文書の研究」「歎異鈔講話」「宗教に生きる」、「雑華雲―梅原真隆歌集」、「国民懺悔の運動」などのほか、「梅原真隆選集」(全32冊)がある。

没年月日
昭和41年7月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「梅原真隆」の解説

梅原 真隆
ウメハラ シンリュウ

大正・昭和期の僧侶,仏教学者 浄土真宗本願寺派執行;顕真学苑主幹;富山大学学長;参院議員(緑風会)。



生年
明治18(1885)年11月11日

没年
昭和41(1966)年7月7日

出身地
富山県滑川市

学歴〔年〕
仏教大学(現・龍谷大学)研究科〔明治45年〕卒

経歴
大正8年仏教大学教授となり学監を兼任、11年龍谷大学と改称され、同教授、昭和4年まで務めた。5年顕真学苑を創設、「顕真学報」を刊行、また個人雑誌「親鸞研究」「道」も発行した。浄土真宗本願寺派執行、顕真学苑主幹、勧学寮頭、伝道院顧問などを歴任した。戦後21年専長寺住職。22年参議院全国区議員当選1回、緑風会に属し文部委員長を務めた。32年富山大学学長。友松円諦との指方立相論、極楽浄土否認論をめぐる論争は有名。また全国部落代表者会議発起人会の一人としても活躍。著書に「教行信証」「歎異鈔」「蓮如上人御一代記聞書」の訳注、「御伝鈔の研究」「教行信証新釈」「教行信証考説」「恵信尼文書の研究」「歎異鈔講話」「宗教に生きる」、「雑華雲―梅原真隆歌集」、「国民懺悔の運動」などのほか、「梅原真隆選集」(全32冊)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梅原真隆」の解説

梅原真隆 うめはら-しんりゅう

1885-1966 大正-昭和時代の僧。
明治18年11月11日生まれ。浄土真宗本願寺派。大正8年母校仏教大(現竜谷大)の教授。昭和5年顕真学苑をつくる。12年勧学。21年故郷富山県の生家,専長寺の住職となる。25年勧学寮頭。32年富山大学長。この間22年参議院議員(緑風会)。昭和41年7月7日死去。80歳。著作に「御伝鈔の研究」「恵信尼文書の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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