梨子堂村(読み)なしどうむら

日本歴史地名大系 「梨子堂村」の解説

梨子堂村
なしどうむら

[現在地名]下市町大字梨子堂

椎原しいばら村の南西に位置する。現地では「なしんど」村という。御領ごりよう郷のうち。慶長郷帳には「梨堂村」と記され、村高一三四・一九石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地で村高は一五八・七六五石となった。

延宝七年(一六七九)検地帳では反合一二町八反三歩で、楮畑・漆畑・茶畑が記載されている。宗門改帳によれば、天和二年(一六八二)の家数三〇、人口一七六(男八四、女九二)、天明二年(一七八二)の家数二七、人口一七五(男八六、女八九)、牛一、元治元年(一八六四)には家数三一、人口一八一(男八八、女九三)、牛二、馬一となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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