日本歴史地名大系 「梨子村」の解説 梨子村なしごむら 山梨県:南巨摩郡中富町梨子村[現在地名]中富町梨子中山(なかやま)中一二ヵ村の一つ。江尻窪(えじりくぼ)村の西、新金嶺(あらがねとうげ)の中にある(甲斐国志)。この嶺を越えれば早川(はやかわ)入一八ヵ村の一つ笹走(ささばしり)村(現早川町)である(中富町誌)。享保九年(一七二四)の村明細帳(江尻窪区有文書)によれば東西三一町・南北九町であった。「甲斐国志」には「慶長郷村帳ニ十九石九斗四升梨子福原村、拾六石三斗福原村トアリ」と記されており、もとは福原(ふくはら)村と一体であった可能性がある。だが慶長古高帳では当村は福原村と分割記載され、高一九石余とあり、幕府領。寛文一一年(一六七一)の検地帳(県立図書館蔵)によれば高三五石余、反別田三反余・畑一六町余・屋敷四畝余、屋敷数六。家数・人数は享保九年六軒・二九人(前掲村明細帳)、文化七年(一八一〇)一二軒・六三人、天保五年(一八三四)一二軒・五〇人、嘉永二年(一八四九)一三軒・四七人(中富町誌)と推移している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報