森中原村(読み)もりなかはらむら

日本歴史地名大系 「森中原村」の解説

森中原村
もりなかはらむら

[現在地名]磯子区中原なかはら一―四丁目・田中たなか町・栗木くりき町・杉田すぎた二丁目

東は海に面し、北は森雑色もりぞうしき村・森公田もりくでん村、西は栗木村・田中村に接する。古くは森雑色村・森公田村と一村で、田園簿には「森村」とある。分村の時期は寛文四年(一六六四)以前といわれ(風土記稿)元禄郷帳に村名がみえる。

近世は初め幕府直轄領、正徳二年(一七一二)以降旗本大久保領。天明六年(一七八六)以降享和元年(一八〇一)まで森雑色村・森中原村とともに保土ほど宿(現保土ヶ谷区)の代助郷高一八二石を勤め(天明六年「代助郷帳」保土ヶ谷区郷土史)、天保一一年(一八四〇)には同宿の加助郷となり森三ヵ村での助郷高は二二五石(「加助郷書上帳」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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