日本歴史地名大系 「磯子区」の解説 磯子区いそごく 神奈川県:横浜市磯子区面積:一八・九六平方キロ市の南西部に位置する。丘陵が東の東京湾岸にせまり、西は港南(こうなん)区・戸塚(とつか)区、南は金沢(かなざわ)区、北は南区・中区と接する。南の金沢区、西の戸塚区との境にある円海(えんかい)山を水源とする笹下(ささげ)川が南から北へ流れる。円海山は標高一五三・三メートル、「風土記稿」には「長野山」とみえ久良岐(くらき)郡中第一の高山で眺望がことにすばらしく、遠くは伊豆半島、箱根・富士・大山・筑波(つくば)などをはじめ一〇ヵ国を一望にできたという。国道一六号(横須賀道)と県道杉田(すぎた)―戸塚線が南北に縦断し、西南を主要地方道横浜―横須賀道路が南へ走る。〔原始・古代〕縄文時代中期以降の三殿台(さんとのだい)遺跡からは約一ヘクタールの範囲内に縄文・弥生・古墳時代までの計二五〇余の竪穴住居跡が発見され、また縄文時代の貝塚も残されている。また汐見台(しおみだい)一―三丁目から港南区上大岡東(かみおおおかひがし)三丁目にかけて縄文中期の集落跡が発掘された平台(たいらだい)遺跡がある。古墳時代の遺跡としては低地に築造された室の木(むろのき)古墳があり、須恵器・埴輪の頭部などのほか、武具や馬具などの副葬品が出土している。区全域が久良(くらき)郡(のち久良岐郡)に属し、「和名抄」にみえる郡家(ぐんけ)郷を栗木(くりき)町・峰(みね)町付近に比定する説もある。〔中世〕磯子および現中区・南区にかかる一帯を本拠地とする平子有長は源頼朝の挙兵後御家人となった。「吾妻鏡」文治元年(一一八五)四月一五日条によれば、朝廷から官位を授けられたため頼朝から咎めをうけた御家人のなかに「馬允有長」の名がある。一族のなかには越後や周防へと移ったものもあるが、平子氏は戦国期まで本領を保持した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「磯子区」の意味・わかりやすい解説 磯子〔区〕いそご 神奈川県東部,横浜市南部の区。 1927年区制。根岸湾にのぞみ,かつては磯子浜,杉田浦と呼ばれる遠浅の浜があり,沿岸漁業,ノリ養殖が行われた。 1960年代なかばまでに全地先を埋立てて石油,機械などの重化学工業が立地。内陸は丘陵地で大岡川支流の笹下川沿いに集落が開けていたが,30年京浜急行電鉄,71年国鉄根岸線の開通により宅地の増加が著しく,洋光台,汐見台には大規模な住宅団地がある。北部に,縄文時代から古墳時代の住居跡,三殿台遺跡 (史跡) がある。国道 16号線が通る。新杉田駅は金沢シーサイドラインの始点。面積 19.05km2。人口 16万6731(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by