森西村(読み)もりにしむら

日本歴史地名大系 「森西村」の解説

森西村
もりにしむら

[現在地名]マキノ町森西

つじ村の南にある。享徳(一四五二―五五)頃と思われる旦那在所注文(熊野那智大社文書)に「もりにし」とある。慶長五年(一六〇〇)佐久間安政(元和二年以降信濃飯山藩)領、寛永一五年(一六三八)幕府領、慶安四年(一六五一)徳川綱重(寛文元年以降甲斐甲府藩)領となる。宝永二年(一七〇五)幕府領となり、享保九年(一七二四)以降大和郡山藩領。寛永石高帳に高三四七石余とあり、慶安高辻帳では田方一六九石余・畑方七六石余・永荒一〇二石余、ほかに小物成米七斗余。享保九年大和郡山領郷鑑によれば、高三四七石余、反別二四町八反余、家数三一(うち本百姓二〇・水呑一一)・人数一三四、馬三・牛八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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